統合失調症を受け入れる
親のせいにしても意味がない
最初に言いたい大題を書いたが、発症した当初は病気になった原因を探し求める時期がある。
その中で行き着くのが親のせいにすることである。
以前にも書いたが
精神を病む→性格の問題→生育環境の問題→親のせい
と言うロジックである。
このロジックに陥るのはよく分かる。
私も陥った。
だが、このロジックは苦しい。もちろん、世の中には毒親の存在がいることは分かっている。だがなおのことこのロジックになると苦しいのだ。
だって、親には愛されたいのだから。
だから苦しくなる。生きづらくなる。親に愛されなかった自分を認めないといけないから。
多くの人が両親に問題を抱えていると思う。
私自身、自他ともに認めるASD傾向の強い父親と自己愛性パーソナリティ障害の疑いの強い母親のもとで苦しんできた。
だからこそ言いたい。
親のせいにすると自分が苦しむと。
統合失調症の治療法の一つに家族療法がある。
あれは非常に有効だと思う。
統合失調症になったことをひとつの契機、いいチャンスにして家族ごと良い方向に向かえるといいだろう。
病識を持つ
統合失調症で最も大事なことが病識を持つことだと言われる。
私の場合、初回がド派手な陽性症状(手首を切り全裸で神様に感謝の踊りを捧げていた)こともあり、すんなり受け入れられた。
が受け入れられない人が多くいる。
なぜか?
そこには社会的なスティグマがあると思う。
扇状的な書き方をすると
統合失調症=キチガイ
こういったイメージの蔓延である。
実際入院中でも統合失調症患者はカーストの最下層になる。
「あの人、統失らしいで」
といわれてまともにはなしをしてくれない人も多くいる。
私はそんな世の中を変えたい!!
とは思わない。
そんなこたぁ無理だ。
だが統合失調症でも冷静に物事を考える人がいることを知って欲しくて今文章を書いている。
そして、ならばどうすれば受け入れられるのか?
内なる差別をやめることである。
統合失調症=キチガイ
という差別をまずは自分が辞めることである。
自分の自分への差別をやめることで病気は受け入れられる。
そして周囲の家族もそのような差別を辞めることにあると思う。
最後に
とりあえず今回、病気を受け入れると言うテーマで書いた。
がこのテームは深く、言語化できていない部分も多数存在する。
またこのテーマについては思いつくことあれば追加で書いていきたいと思う。
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