「すべて社長の責任」と「お客様は神様」は似ている。
①「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも社長の責任」
これは私が尊敬する伝説のコンサルタント一倉定さんの言葉で、本来は社長自身を戒める素晴らしい言葉です。
孤独で他責になりがちな社長に対して、現実に向き合わせる強烈な言葉でもあります。
私も他責になりがちなので、自責に戻ってくるためにいつもこの言葉をかみしめています。
②社長としての「他責」と「自責」
別の記事でも書きましたが、私は他責になったり自責になったりしながら思考を深めるべきだと思っています。
その方が客観的に見れるし、ストレスもだいぶ少なくなるからです。
社長という立場は、すべて自分で選択・決断することができる代わりに、すべてが自分の責任です。
だからこそ誰かのせい、何かのせいにして「他責」に逃げ込みたくなる気持ちも分かるのですが、私は必死で自分がそうならないように注意しています。
しかしその記事でも書きましたが、他の人にマウントを取るために「他責」という言葉を利用する人がいます。
そう言えば何か指摘した気持ちになれるのでしょう。
そして同じように「それは社長のせいだろう」と言ってくる人が現れました。
③「あなたが言うの?…」
現場の管理職が部下同士のトラブルを解決できず、片方が退社したいと悩んでいる話を、飲み会の席で全く関係のない部署の社員から聞いた時でした。
早く教えて欲しかったとは言ったものの、二人とも元は仲の良い社員だったため、何とか和解させる方法はないかと周りから話を聞いていると、私の身内だが責任を持ちたくないからと平のままの社員が、「それは社長のせい」「社長がちゃんとしていれば起こらなかった」と言い出したのです。
原因は本人たちの勘違いであり、周りが私に伝えるわけでもなく、放置していたために悪化してしまっているのですが、私も怒ってもしょうがないので「じゃあどうしたら良かった?」と聞くと、放置していた当事者の一人なのに、「それは分からないし、どうしようもない」「でも社長のせい」と言っていました。
④言葉を発する人次第で「他責」と「自責」は変わる
言っていることが理解できず、理不尽すぎるのでビックリしてしまいましたが、言って来た社員の表情を見ているととても自慢げな顔をしています。
それで気が付きました。
「どこかで『すべて社長のせい』というセリフを聞いて、身内なのをいいことにマウントを取って、何か成し遂げた気になっているんだ!」
「社長なのに他責になっている」とマウントを取りたいあまり、本人が「社長のせい」という他責になっていることに気が付いていません。
つまり「すべて社長の責任」という言葉は、社長が己を戒めるために自ら言い聞かせたり、外部の人から忠告やアドバイスとして言われるべき言葉であって、ともに努力すべき社内の人間が言う言葉ではないのです。
⑤「お客様は神様」という言葉と似ている
トラブルは時間がたちすぎていてどうにもなりませんでしたが、それでも私はトラブルを解消しようとしました。
私の会社であり、大事な社員だからです。
しかし「社長のせい」と指摘した身内の社員は何もしませんでした。
他責すぎて、「社長がしてくれる」ものだと思っているようです。
これは「他責」の話だけではなく、前の記事で書いた「お客様は神様」という話まで重なってしまっています。
他責が過ぎて当事者意識を失った挙句、自分を「神様」にしてしまっているのです。
⑥社長という立場は良くも悪くも勘違いしやすい
それでも私は「社長の責任」と思うようにしようと考えています。
社長としての当事者意識を失いたくないからです。
しかし世の中には「他責」のままの人いれば、「自責」で追い詰められている人もいます。
「自分の責任」と思う時も過度に思い込みすぎず、客観的な視点を持って、苦しまないでほしいと思います。