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日本人は悪食なのか? 食から考える日本人という種族
こんにちは
こんばんわ
ともひろです。
ふと食事について考えていたとき
日本人って食い意地貼ってんなーって
思ったので今回はそれについてです。
食と感謝についての物語をどうぞ
そんなもん食うの?!?
外国人から見て
それ食べるの!?!?って日本食は
多いらしいですね。
有名どころでいうと海鮮類
白子とかですかね。
白子はオスの精巣にあたって
産卵期になると肥大化するので
それが食べ頃の時期ですね。
外国人はそんなんの食ったら妊娠しそうらしい。
まーするわけないのは置いといて
魚介っていうのがいけないんですかね。
外国でも牛の睾丸も食べてるし
結局珍味なんだよなぁって思ってました。
他の食材だと
塩辛とか納豆とか
匂いがきつくて食えたもんじゃないらしいですね。
私も納豆は嫌いです。
食べててえずきます。
外国の人は匂いに敏感なんでしょうかね?
特に日本は水産物が多いから
その青臭い匂いが苦手とか。
海苔も苦手と聞きますし
そうなのかもしれないですね。
私も驚いたもの
私は両親も祖父母も日本人の
生粋の日本人家系だが
それでも日本食に
まじかって思うものはあります。
例えばフグ
よく食べられるトラフグは
内臓すべてに毒があるのは有名ですね。
それを食べようって思って捌き始めたのは誰か?
もし内臓を食べて死んだ人はどれくらいいるのか?
考えただけで恐ろしい。
なんならトラフグ以外のフグの仲間には
全身、身にも皮にも毒があるやつもいます。
一口食べたら死ねる魚を
なんで食べようと調理したのか。
例えば納豆や味噌などの日本独特の発酵食品
有用な菌がついているとは
いわば腐った豆なわけだ。
最初に食べた人は腐乱臭に耐えながら
恐る恐る食べたのかなと思う。
納豆は嫌いだが初めて食べた人には
頭が上がらないと思う。
例えばわらび
わらびはそのまま食べようとすると
えぐみがひどくて食べられたものじゃない。
現代だと重曹などのアルカリ性で
アク抜きをしてからだと美味しくたべれる。
しかし昔は灰を使ってアク抜きをしていた。
初めてやった人は何を考えて
わらびを灰を溶かした水に浸したのだろうか。
そしてそれをなぜ食べようとたのか。
例えばからすみ
これは鰡(ボラ)の卵の塩漬けのことだ。
そのまま食べると卵には微毒がある。
それを綺麗に洗う(3日)
↓
塩漬け(1週間)
↓
塩抜き
↓
乾燥(4週間)
この工程をえて美味しい食材となる。
ここまでして食べたいのかよ!
って思ってます。
そんなにボラの卵食べたかったんですかね?
例えばフグの卵
フグの卵もしっかり毒があります。
じゃあ駄目じゃん!ってなりますが
3年間、塩漬けと糠漬けをすることで
解毒されて食べることができる。
ちなみに原理は不明だそうです。
からすみはせいぜい1ヶ月後ちょっとですが
3年間ってなんだよ。
どんだけして食べたいんだよ。
なんなら漬けて忘れてたのをたまたま食べたら
死なずに食べられた的なんじゃないかと考えます。
日本人の食への執着はすさまじいですね。
どんだけ手間暇かけるんだよ
っていうのが日本人の僕からの日本食の所感です。
なぜそこまでするのか?
そうまでして食べたい理由を考えてみて
3つほど仮説が出てきました。
1つはそれほど食に困っていた説。
日本は国土がそもそも少ない。
陸で栽培、耕作、酪農がしにくいのではないか。
そのため定期的に安定した食料確保が難しいため
食に困っていたのではないか?
だから食べるものに困っていたため
試行錯誤してでも食べることにした説。
2つ目は好奇心から説。
未知なる味を追い求めるのは
現代でも同じだろう。
たくさんの飲食店がそれを物語っている。
ならば昔の人も同じで
食べたことないものには興味があった。
その味をどうしても知りたかった。
だから試行錯誤して何としてでも
食べれる方法を確立したのではないかという説。
3つ目の説
実は最初はこの2つまでしか
考えつきませんでした。
しかしあることで3つ目の仮説をひらめいた。
それは「いただきます」
この言葉だ。
つまり食への感謝だ。
3つ目の説は食への感謝説。
個人的にはこれを推したい。
どうにしかして食べたかったんじゃない。
食材を無駄にしたくなかったんだ。
捨ててしまう部位をなくしたい。
最後まで役立ててたい。
もったいない。
そんな思いがあったのではないだろうか?
だから手間がかかっても調理した。
捨てる内臓まで食べようとした。
だから腐って見えても口に運んでみた。
それが美味しかったから今まで続いた。
だから食べることを諦めなかった。
時間がかかっても調理し続けた。
そして食べれないものは最初から捕らずら逃がした。
それは捕食者としての責任とも言える。
奪った命に報いること。
何一つ無駄にしないこと。
そこにあったのは
まごうことなき感謝だろう。
悪食だとしても
日本は外国からみたら悪食だろう。
だって普通だったら捨てるような部位も
あれこれして食べてるんだから。
それは死肉に群がり貪るカラスと
そう変わらなく見えるだろう。
しかしだ。
それも見方を変えれば
食すると決めた食材を何一つ無駄にしないという
感謝の現れなのではないか?
私はそう思いたい。
悪食であったとしてもその感謝は忘れない。
悪食ではないの感謝という心があったからだ。
それが日本人なのだろう。
どこの誰よりも感謝深い
そんな人種に見える。
そして私は日本人だ。
その先人の血を継いでる。
改めて思う
そして引き継ぎたい。
食への感謝を。
いただきます
この言葉に恥じない自分でありたい。