さようなら 現実 〜犬の世界から世界を疑ってみる〜
こんにちは
こんばんわ
ともひろです。
今日は犬になってみたら!?
そんな話です。
ふと思ったんです。
犬と人が見ている現実に差異はなにか?
そこからこの世界ってあやふやだなーって
思ったのでそのことを残そうと思います。
それではどうぞ
色ってなに?
今日の話を思いついたのには
1つの知識を得たからでした。
犬には世界が白黒に見えている
どうやらそうらしいんですよね。
目というか眼球の構造の違いからなのか。
調べてみたら近年の研究では
黄色・青・グレーも見えてるらしいです。
黄色と緑は同じ色ぽく見えるそうです。
不思議ですね〜。
眼球の構造が人間の方が優れているから
人間の方が細かい色彩が見えるってわけですね。
さすが我らが人間!!!
世界で1番の生命体!!
………本当に?
疑惑
さてあなたに問います。
ある種の思考実験かもしれまんね。
はたして本当に犬より人間の方が優れますか?
あなたの答えはなんですか?
私はNOと答えます。
だって嗅覚は劣ってますから。
と同時に1つの仮説が浮かんだ。
人間の方が犬より劣っているもの
もっとあるんじゃない?
生物には向き不向きがある。
私たちが永遠に水中には入れないが
魚はずっといられる。
でも魚は陸にはずっといられない。
ホッキョクグマは厚い毛皮で
寒さから身を守っている。
でも赤道付近だったら暑くて死んでしまう。
そんな感じで犬と人間を比べていたら
あることを思った。
視覚ももし犬の方が優れていたら?
逆説的な疑問でした。
つまり犬の方が世界を正しく捉えられている。
そう仮で考えてみたんです。
そしたらどうでしょうか?
人間の眼球は随分余計な物が
ついてますじゃありませんか。
世界の本当の姿を捉えることに特化した
犬の瞳は何と無駄なくスマートなことか。
本当に犬より人の方が優れている?
ここからはより思考実験ぽくなります。
今回は犬との視覚について着目してますが
なにもそれだけじゃないです。
私たちは人だ
人つまりホモ・サピエンスだ。
そしてその種族があたかも知性を持って
振る舞っているのが歴史だ。
人という枠組みだから
私たちは人という視点でしか物事を見れない。
しかしそれが真実や事実という
保証はどこにもないのではないか?
人間がこの地球で最も賢い。
だからこの世のことはすべて人間が見る。
そして見たことに法則をつける。
なぜなら人間が1番だから
人間が世界いや全ての中心だから。
文字にしてみると実に滑稽に見えます。
賢い=中心ではないのに。
誰も人間の視点が正しいとは言っていない
言われてない、確かめようがない。
だから便宜上、人間の視点を絶対にしている。
人間という視点が絶対じゃない。
人間が人間という世界があるように
犬が犬という世界がある。
そしてそのどちらも
正しくて誤っている。
真理というのはどこにあるのだろうか。
もし犬の世界が正しかったら
もう少し思考実験してみましょう。
もし犬の見ている方の世界が
正しかったらこの社会や世界はどうなりますか?
面白いですね。
人間を根本からひっくり返すんですから。
ホモ・サピエンスの歴史全てを否定する。
ちょっとやってみましょうか。
1番おかしくなるのは学問でしょう。
主に化学、科学系
あとは物理学や天文学もおかしくなりそうですね。
これられは目に見えてる現象を真実として
積み上げられてきた学問たちなのだ。
とたんにそれられの基盤であり土台の
観察=見る行為が偽りになるんですから。
全ての学問が基礎からひっくり返る。
歴史に名を残したものたちの功績も
全てが疑わしくなることでしょう。
例えは美術とか
あの鮮やか色彩は本当は偽物だった!
犬の視点からしたら見にくくて醜ててしかたない!
そんなこともなるんじゃないか?
どんな名画も
どんな美しい色彩も
どんな綺麗な色使いも
全ては下品な色でしかなかったら。
見ろあの紅葉を!
自然が作り出す下品な色たちを!
そんなことも言ってみたいものですね。
学問が狂ったら次は社会おかしくなりそうですね。
学問という論理性と客観性を重視し
それに全幅の信頼を置いているのか現代社会。
学問の失墜というのは
そのまま現代社会の信用性の失墜も意味する。
どこにも裏打ちをしてくれるデータがないのだから。
根拠と信頼という安心がない世界へ
あなたたちは出迎えられる訳だ。
出迎えられるというよりかは
本当のことに気づいて
そこにあったものの本当の姿の認識かな。
全人類、あらゆるもがシュレディンガーの猫になる
そう言ったほうがいいだろう。
例えるなら…
ディズニーランドで見られる着ぐるみ
あそこで見られるディズニーキャラたちは
さぞかわいいでしょうね。
しかしそのキャラクターの全ては着ぐるみ。
あなたはその真実を暴きたいですか?
着ぐるみの内側から
正体不明の謎のものたちが生まれ出て
何事もなかったようにショーをする。
それをツッコまないでそのまま受け入れられるか。
そんな混乱が世界で起きるでしょう。
今まで見ていたものが信じられられなくる。
姿、形、機能、名前、何も変わらなくても
これだけの想像ができる。
夢から覚めて
さて現実に戻りましょうか。
あなたが見ているものが真実の世界に
おかえりなさい。
実は今回の記事はある人の考えを参考にしました。
それはリンゴで有名なニュートン。
彼はこういいました。
「時間は錯覚だと」
我々は本当の時間を感じることはできない。
今感じているのそれっぽい錯覚。
本当の時間とは考え感じられない
別のところに存在すると。
別に本当であるかは僕はどうでもいいです。
しかし、そう思ってみると面白かったので
今回は色、視覚という点を疑って
この記事作ってみました。
もっと言うと先ほど例に出した
学問がひっくり返るというくだり
あれは実際に議論があったものです。
昔に哲学で考えられた現象について
それを参考にしました。
私たちの頭の中だけでなく
歴史に名を残した偉人でさえ苦しみ悩んだ問い。
この記事の反応があったら
その答えや続きを書きましょうかね。
それもいいですが
ぜひあなたの答えも聞いてみたいです。
コメントお願いします!
思考実験の物語
もとい、常識を疑う旅はどうでしたか?
この記事のテーマは常識を疑い
そして、現実の危うさを知ってもらうことです。
当たり前と思っていた視点を変えるだけで
現実は簡単に歪みます。
そしてその現実に上に私たちは生活をしている。
とても歪で危うい
薄氷のような現実に
それを知ってもらえたら嬉しいです。
それではまた別の物語、現実でお会いしましょう。
P.S おまけ
今回は哲学の内容の記事を作ってみました。
哲学は学ぶことはできない。哲学をすることはできる。
こんな言葉があります。
この記事を通して、あなたが哲学をするきっかけを作れたら尚の事、私は嬉しいです。
ぜひあなたの哲学を聞かせてほしい。
あなたと哲学したです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。