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「『学び合い』誰一人見捨てない教育論」から…

西川純先生の新著。
 私は、学生時代から西川先生の『学び合い』の考え方に共感しており、大事にしてきた。しかし、最近、自分の中でほんとうに『学び合い』の考え方を大切にした教育実践になっているだろうか、子どもたちのためになっているだろうかという疑問符が湧いてくることが多かった。そんな中で、出会った一冊である。

『学び合い』の最終目的は子どもの一生涯の幸せ

 「子ども達の一生涯の幸せを実現するために教育を行っている」という考え方に共感する人はほとんどであろう。では、子ども達の一生涯の幸せとは何か。その一つは、「人と関われるようにしてやること」だ。本書に「人と関わることが苦手な子に『学び合い』を強いていいのか」という話が載っていた。
 その子の20年、30年先を見据えて、今のその子にどんな力を付けてやることが必要なのかという視点で考える必要がある。そうしたときに、今、1時間1時間の授業の中でクラスの友達とつながることを繰り返すことである。このことで、その子が社会に出た時、コミュニケーションで悩むことがあるかもしれないが、コミュニケーションができる仲間を得ることができた。これは、その子にとって「得」なことである。こうした意識をその子にもクラス全体にももたせなければならないと思う。

集団の構造

 集団の構造としては、「2:6:2」の法則が有名である。いち早く新たな製品・サービスを利用するイノベーター、アーリーアダプターと言われる上位層、その製品・サービスが一般化してから乗っかるマジョリティと呼ばれる中間層、最後まで新たな製品・サービスを利用しないラガートと呼ばれる下位2割が存在するといわれている。
 教師が動かせるのは、上位2割であり、その上位2割が中間層を動かすことで、8:2の関係性にもっていくことができる。こうしたことを教師が分かったうえでする言葉がけとそうでないそれとでは、その結果に大きな違いが出てくるだろう。私たちは、2割に届くように語りかけているという認識に立つ必要があるだろう。
 西川先生がよく仰る言葉に次のような言葉がある。
「その子、その事を解決する能力は教師にはない。教師にできることは、その子、その事を解決できる有機的な集団を創ることだ」
 この言葉を常に忘れずに対集団に関わっていきたい。

教師の心は子どもに見透かされている

 子どもは親や教師など身近な大人の姿、行動に敏感である。よく大人を見ている。特に、イノベーター、アーリーアダプターと言われる上位2割の子ども達は大人の腹を読むことができるそうだ。この上位2割に見限られてしまえば、集団は崩壊していくだろう。
 本書には、「『学び合い』は心でやるものです。その心がない人は実践できません」と記されていた。このことは、すべての教育実践に通ずることではないか。教師が本気でその価値を信じ、本気で語りかけること。それが津上位2割に届き、集団を動かすことにつながるのでないだろうか。
「教師は子ども達にとって、大人のモデルです。教師が楽しそうならば、大人になりたいとおもいますから」
 この言葉も自分の中にしっかり持っておきたいと感じた。

問答を繰り返す=対話

 生き方レベルの『学び合い』にするには、問答を繰り返すこと。小中高でもできるということ。衝撃でしたね。こういった問答=対話を繰り返すこと、教師にとっての成長につながるのでしょうね。子どもたちと本気でたくさん問答したいな。興味、関心をもって…


 人間は損得感情で生きる生き物であるがゆえに、「一人も見捨てないこと」が自分にとって得であるということを語れる教師でありたい。そして、教師として「子どもの一生涯の幸せを実現する」という最終目的を見失うことなく、何十年先の未来を見据えたうえで、今この時点ですべきことをしていきたいと改めて思う。


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