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言語教育の側面

style。风格 (fēng gé)。스타일 (seutail)。
estilo。phong cách。स्टाइल (stail)。

共生理解社会               ≒現状理解社会

日本語教育を第一言語、第二言語、第三言語社会のなかで考える。

「共生理解社会」とは何か。答えは、シンプルだ。生活をすること。特別に何かを考えて、特別に何かをするのではなく、「生活をすること」だと言える。

この言葉は、以前NHKのドキュメンタリー番組のなかで、ある貧しいインドの少女が発していた言葉である。「なぜ、勉強するの?」「朝起きて、ご飯を食べて、家に帰ってきて家族と暮らすため。」「普通の生活をするため。」そのために毎日勉強していると言っていた。それから、「勉強は楽しい。知らないことを知れるから。」とも。南アジアや途上国のニュースを目にすると、最近よくこの会話を思い出す。AI技術やChat GPT関連のニュースを目にしない日がないからかもしれない。

日本の国際化を考えてみると、1990年代後半から2000年前後を境に急激に社会が変化した。特に、2000年のミレニアムには、世界的な国際化の流れとともに、人の移動、モノの移動、情報の移動が急速に広がりをみせた。現在のSDGsの知名度まではなかったが、2000年9月の国連ミレニアム・サミットで採択されたMillennium Development Goals: MDGsも国際化に拍車をかけた。日本国内で開かれた当時のシンポジウムに私自身も参加したことを思い出す。ただ、当時と比べ、現在とのいちばんわかりやすい違いは、人々が個々に持つ情報量だと感じる。世界中で利用されるiPhoneやアンドロイド、タブレット等の情報伝達媒体の普及率は、2021年時点で世界人口の50%、40億人が利用するまでに広がりをみせている。この点を考慮すれば、個々の持ち得る情報量には、恐ろしささえ感じる。さらに言えば、情報源や内容など、セキュリティ対策などの問題も山積している。2000年前後に叫ばれていたグローバリズム、グローバリゼーション、インターナショナルなどの言葉がマスメディアで頻繁に使われ始めた頃とは、到底比較にならない。さらに、2023年の現時点からみて、7年後の2030年には世界人口が5億人増えるとの予測もある。2000年を中心とした国際化の波は、人口推移同様に我々が日常をおくる地域社会に溶け込んできていると言える。ただし、国連の公式発表であるとはいえ、世界中の経済的、内政的な不安定地域などの状況を考慮すると、言うまでもなく、この人口統計を超えている可能性には理解が必要だ。

では、日本国内に目を向けてみよう。

私自身、日本語教育に長年携わってきた。この立場から言えば、第一言語、第二言語、第三言語習得としての日本語教育自体は、実はそれほど長い歴史があるものではない。

特に、第二言語習得としての日本語教育の歴史はまだまだ浅い。実質的な年数をさまざまな社会状況を踏まえて考えてみても、35年前後だと思う。もちろん、それ以前の政治的な言語教育の歴史が存在することは承知しているが、ここでは、あくまでも2000年以降を話の中心において進めることにする。1990年代後半から2010年前後にかけ、日本国内においては、漢字圏の学習者の時代。その後、2010年前後に漢字圏の学習者から非漢字圏の学習者への第二言語教育研究が表立って書籍化され、大手書店には並ぶようになった。新聞の中吊り広告でも、たまに目にするまでになった。

こう考えていくと、「現状理解社会」についても、少し考えやすい。

まず、日本国内における日本語学習者の割合を国際交流基金と文化庁の2021年のデータでみてみよう。

国際交流基金によると、学習者全体の数(142か国の国、地域)は、3851774人。

そのうち、日本国内の学習者数は、文化庁の2021年のデータでは、160921人となっている。

ただし、公式なデータではあるが、実態については疑問も残る。

次に、先ほど第二言語教育における日本語教育の歴史は、まだまだ浅いと述べたが、近年のAIに代表される量子技術の進歩で学習環境が変わりつつある。

ただし、これは学習者自身の変化ではなく、あくまでも学習の術としての道具的な手段が多様になってきているということだ。

スマートフォンを例にあげる。スマートフォンの画面というのは、膨大な情報を表示しながら、画面越しにこちらを視ている。学ぼうと思えば学べるし、知ろうと思えば知れる。しかし、これには誤解がある。

自分自身に置き換えて考みても、第一言語、第二言語、第三言語を学習している人たちの立場から考えてみても、スマートフォンがあれば、知りたいことを知れる。とは、はっきりとは言いにくいのが現状だ。

まず、日本語を母国としている日本人でも、新聞、アプリ、スマートフォンから溢れてくる漢字や表現や他の言語は、難しくてとてもすべてを理解できない。知りたくても、見たことも聞いたことも、口にしたこともない言語や発音であれば、正確に調べることは、かなりの重労働だ。

第一言語、第二言語、第三言語として学んでいる最中の学習者ならば、さらに難解であり、大難問なのだ。

現実的に言語翻訳機能を使ったとしても、どこまで正確なのかもわからない。もともと、言語と言語は、正確には翻訳できないという側面があるとはいえ、まったく接したことがない言語であれば、ある意味理解する術などないのが本音なのかもしれない。

当然ながら、日本国内で第一言語、第二言語、第三言語として日本語を学ぶ方々や幼い子どもたちにとっても本音なのかもしれない。

知らないことやわからないことは、人間であればたくさんある。そうであるからこそ、多種多様な諺も生まれる。先人からの戒めもある。

アプリで読む英字の国連のニュースと母語で読む国連のニュース、日本語で読むニュースと他の言語で読むニュースを比べると違いがある。ただし、違いはあるが、違いもないのだ。

そんな考え方に共感してくださる方に、読んでいただきたい共生理解社会に関しての教育マガジンを不定期で載せていきます。各教育関係者、並びに子育て中の方々にも読んでいただければと思っています。ご参考になれば、幸いです。












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