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寺活のすすめ

強制的に寺活すればいいのに。

みんな忙しすぎやしないか。
予定を詰めるだけ詰めて消化したのかしきれてないのかわからないような時間に飲まれて、欲望に流されていっている。
そらストレスも溜まるし鬱になる人も増えるだろう。

noteというアプリを使って数年、いろんな人の考えを知れる場として重宝してきた。
ちょっとした違う視点を取り入れるのにちょうどいい場所だと思っていたが、最近は少し毛色が変わってきたように感じる。

読ませようとする努力が、ちょっとしたお役立ち情報のようなものにまとめる風潮が強くなっている気がする。

いや読みたい。そういうものはあるに越したことはない。そう言うものを勧めてくれるのはありがたいとも思う。(22時半くらいにnoteアプリがオススメの記事を出してくるようになった)
ただ、よく練られているようでいて、だいたい似たようなことが書いてあって、

またか

と感じることが増えた。
読むこちら側の感性が鈍くなってる(同じことしか受け取れなくなっている?)だけなのかもしれないが、そこのところどうなのだろうか。
noteに限った話ではなく、スマホを取り巻く世界全てについて言えること。

寺活すればいいのに。
書かせてなんぼ、読ませてなんぼ、消費させてなんぼの世界がある一方で、
書かなくていい、読まなくていい、リアルな場で別に何を記憶に留めるでもなく感動したことを広めて注目を集めようとするでもなく、もっと一人一人が自分の感じたことを感じたままに受け流す時間が増えればいいのに、と思う。そういう時間を過ごすのに寺という場所はちょうどいいと感じる。
場所があり手を合わせる仕掛けがあり、少し踏み出せば話を聞いてくれる人がいる(はず)

勿体無い、を受け流す余裕が今あなたにも必要だと思う。
そんな余白が本当に必要としているものをあなたに呼び込むはずだ。

とりあえずこれを読んだ方は近くの一般に開かれているお寺に行ってはどうだろうか。
寒くなる(寒くなる気配のない今年だが)前に、仏様と向き合ってみてほしい。
無性にそんなことを思うのである。

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