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苦しめあって強くなった


こんにちは
教育学部 発達教育課程 初等連携教育専修
2年の松下ももです。

ぜひ、最後まで読んでください。






新体制となってから約3ヶ月。初めての公式戦を迎えるも初戦敗退。久しぶりに味わった、あの遠足前のようにわくわくして寝られない夜も一晩で終わった。何となくだけど、勝てる気がしていたのは私だけだろうか。みんなのあの盛り上がりはなんだったのか。

高校生からサッカー部のマネージャーを続けて5年が経とうとしている。一生懸命頑張る人の近くでサポートすることを好きになったのも5年。この5年間、マネージャーという役割にどれだけ真剣に向き合っても、どれだけ全力でやっても、チームが上手くいかないときの改善策は分からない。見つけることができない。

そこで私は、ふと中学時代の自分を思い出した。私も部活でプレーヤーとして活動していた頃である。

そこでは毎年変わらない目標があった。それは、

「夏のコンクールで金賞を獲る」

これを達成するためにどれだけ自分で自分を強くし、周りに自分を強くしてもらったか。

集合時間そして、上級生より1時間早く来て準備、自主練。それができない日には、理由を問い詰められる地獄。もちろん休みはなく、土日、長期休みは9時から17時。酸欠です。部活が終わった17時以降も理由なく先輩より早く帰ると、次の日の事情聴取。廊下の往復が永遠に終わらない、体育祭の行進演奏練習。そして1番苦しかったのは、真夏の体育館閉め切った中での合奏。熱中症になります。

そんな苦しいことがたくさんあっても、最後までやり切れたのは、この時間を共にした仲間がいたから。自分たちで自分たちを追い込み、それに全員が必死に食らいついてきたから。

そして、誰1人、あの目標を諦めなかった。

自然と誰かのためにという思いで、演奏していた。


似たような経験は、文教のサッカー部にも必ずいるだろう。ほとんどが中学生になってから始めた楽器でも、3年経たないうちにその楽器の演奏者となり「金賞」を獲ることができた。サッカーが大好きな人がたくさんいるここのサッカー部なら「三年連続昇格」という目標は、達成できると思っている。サッカーできない人がそんな簡単に言うなと思う人もいるかもしれない。

しかし、ほぼ全員が初心者、専門の講師も、指揮者もいない、部員数は強豪の半分以下、近所からうるさいというクレームがある中で、あの頃の私たちは結果を残した。


あれだけ先輩が後輩に圧をかける必要はないし、有意義に使えないなら長時間練習する必要もないと思う。それでも自分たちで追い込み、必死に食らいついていくことを、全員がする必要があると思う。まだまだ練習後に遊べる力が残っているから。

私も含め、部員全員で尻を叩き合い高めあっていく必要がある。



59 沼口 巴都紀

個性的で不思議すぎる彼は、つい最近、大きな選択をした。その選択肢は究極であり、彼が選んだのは辛く厳しい方である。仲間からの試練だったとしても、最後は自分で決断したことを最後までやり抜いてほしいと思う。
頑張れ!はづき!

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