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かいとさん「僕は子育てをしない」に寄せて ~受容(愛)の本質~

noteを拝読している中で、かいとさんの「僕は子育てをしない」という作品に出会いました。

このタイトルを見て思い出したことがあったので、一筆認めます。

子供たちが多感だったころと記憶していますが、多忙で子供達と多くの関わることのなかった夫に、ちょっとした嫌味も兼ねてこう尋ねたことがあります。

「あなたは、子育てについてどう考えているの?」と。

彼から返された言葉は、私の胸に深く突き刺さり、長い間の試行錯誤をもたらし、「今」に続く道程となった、そんな気がします。

「そもそもさ、まこの言う「子育て」って何?」
「育ててるとか言ってる時点でちょっと烏滸がましさ感じるな。」と。

当然、日々頑張っていると自負していたし、彼の協力の少なさにも不満があったので、その言い草にイラっとしましたし、腹立たしさも覚えました。

「俺はさ、子供は「育てる(自分たちの思っている方向に導く)」ものじゃなくて「育つ(自ら成長する)」ものだと思ってるから。」

「いいのよ。あいつらはあいつらでもがけば。親なんて当てにしないでさ。親はさ、最後の最後、本当に辛くなったり困ったりした時に、臆せず向き合い、手を差し伸べることができる準備をしておけばいいじゃないの?」

この言葉を耳にしたときに、はっとし、苛立っていた自分が恥ずかしくなったことを今でも覚えています。

彼の言葉は続きます。
「親の役目は何って聞かれたら、身も心もひもじい想いをさせないって言うか・・・子供が「育つ」ために必要な環境を整えるってことなんじゃないかなと思う。衣食住もそうだけど。」
「なんていうか、それ以外親にできることってあるのかな?」と。

そして、
「結局さ、子供って環境を整えてやれば、自分に必要なことは吸収し考え判断するようになるんだと思うよ。」
そう結びました。

所謂「受容」の本質、それを語った彼に、言い返す言葉は見つかりませんでした。

とは言え、子供が小さかった頃不在がちだった彼に、もっともっと父として関わってほしかったという想いが消えたわけではありません。

でも、「育む」にあたっての一番の基礎となる「受容(愛)の本質」については、私以上に明確な考えを持ち、実行していると確信したのも事実です。

おかげさまで長男はすでに社会人4年目に突入、次男も今年から社会人1年生。
それぞれが既に巣立ち、自分の力量で生活を営み始めています。
ありがたいことですね。

・・・このやりとりは、今の私の仕事の「礎」になっています。

職業柄、様々な特性を持ったお子様そして保護者様と対峙しますが、「決めつける」「諭す」「導く」ではなく、「寄り添う」「共に考える」そんな存在でありたいと願ってます。

もちろん、うまくいくことばかりではありませんが、それでも「待つ」「聞く」の姿勢を大切にし、「育てる」と躍起になるのではなく「育つ」を応援できるよう「育む」、そんな教室長でありたいと思っています。

また、新たな教室を持てる日がきたら、小さくても愛の溢れるそんな場所になるといいなぁと思ています。

最後に・・・
今日も文末までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
是非、「スキ💖」を足跡として残してください。
あなたの「スキ💖」が笑顔の糧になります。
よろしくお願いいたします。


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