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【短編小説】K地区にて⑤|ステゴアリマス
尋常ではない子供の泣き声に、配達の手が止まった。
午前中、まばらに建っている借家を配達していた俺は、すぐに声のほうに目をやった。
まだ幼稚園にも入っていないような幼児が、古いアパートの錆びてボロボロになった手すりの下で、涙をぼろぼろと流しながら大声で泣いていた。
見たところ男の子のようで、最初は変わった服を着ているのかと思ったが、首から何かをぶら下げているらしかった。
あまりジロジロ見るのもどうかとも思ったが、バイクの後方にある荷台から大型の配達物を取り出すふりをして、もう一度男児のほうを見た。
その首にぶら下がっていたのは、黒のマジックで大きく「ステゴアリマス」と書かれていたダンボールの看板だった。
俺は胸がきゅっと締め付けられる思いがした。
目の前で獣のように泣いているこの男の子が、なにをしたのか俺にはわからないが、あまりにもかわいそうだと思った。
ただ、事情を知らない他人が首を突っ込む訳にもいかない。
数十秒後に「だからいったでしょ!」といった風に親が出てきて、愛のあるお説教をするかもしれない。
順調に配達が進めば五分後には男の子のいるアパート周辺ということもあって、淡い期待を持ちつつ、俺は配達を続けることにした。
*
五分後、男の子はまだ泣いていた。
泣きながら何かを喋っているが、嗚咽と悲鳴のような泣き声で聞き取れない。
それにしても変だ。これだけの泣き声なのに、親どころか近所の住民も顔を出さない。
あまり考えたくはないが、K地区ではこういう躾はいつものことなのだろうか。
俺は男の子を少しでも落ち着かせようと思い、男の子に近づき声をかけることにした。
「だいじょう……」
途中まで声に出たところで、異変に気付いた。
首からぶら下げた「ステゴアリマス」の看板に隠れていた男の子の手首が、体の正面で紐で縛られていたのだ。
躾にしてもやりすぎだ。大泣きしている子供を縛って、「捨て子」だなんて。なんだか沸々と怒りがわいてきた。
だがここで俺が怒っても仕方がないので、気を取り直してまた声をかける。
「おうちはどこ?」
「わぁっかぁんなぁぁい!うわぁぁぁん!」
男の子は自分の涙に溺れそうになりながら、叫ぶように言った。
どうやらパニック状態のようだ。
「一回落ち着こう。おうちを教えてくれれば、お父さんかお母さんを呼んできてあげるよ」
「うわぁぁぁん!これとってぇぇぇ!これとってぇぇぇ!」
腕の紐のことか?このままでは会話にならないので、紐をほどいてあげることにした。(正直、勝手に手をだすのは気が進まなかったが)
俺が男の子の手首の紐に手をかけようとしたときだった。
「クックッ」
男の子の声ではない、あきらかに成人男性の声が聞こえた。
思惑通り物事が進んで、意図せず出てしまった笑いを噛み殺すような声。
もしやこの子の父親が迎えに来たのかとも思ったが、この場には俺と男の子しかいない。
「今、誰かいた?」
一応、男の子に問いかけると、黙ったまま首を振った。
その時、俺は見てしまった。
男の子はうつむいていたが、口の端の右側だけが引きつるように歪んでいた。
いつの間にか男の子は泣き止んでいて、バイクのアイドリング音だけがドコドコ鳴っていた。
「ちょっとこの紐固いから、ちょっと待っててね。ハサミ持ってたかなぁ」
とっさに適当な理由をつけて距離をとる。
もちろん、配達にハサミなど持ってこない。
「おい!もどれぇぇぇ!」
目の前の男の子は、男の声で怒鳴った。
小さな額に血管が浮かび、さっきまで涙で濡れていた左目がぎゅるんと外側を向いた。
背中に浴びせられる罵詈雑言を、勢いのまま回したアクセル音でかき消し、俺は飛ぶようにその場から離れた。
*
正直、K地区の担当になってから一番の恐怖だったが、仕事を残したまま帰れない。
午後になって、再び男の子のいたアパート前の配達を試みることにした。
バイクに乗り、恐る恐るアパートに近づく。
俺は配達物を整理するふりをしながら、様子を見ることにした。
驚いた。なんとさっきの男の子が、何もなかったように家族と遊んでいた。
その光景に俺が唖然としていると、アパートの一室から、若い女性が出てきた。
ボブカットの黒髪に入った、金色のメッシュが印象的な女性だった。
「これで儀式は終わりです。もう大丈夫ですから。また何かあったら連絡してください」
「この度は本当に何と言ったら良いか……ありがとうございました!」
男の子とその家族が何度も頭を下げるなか、女性は微かにほほ笑み、軽自動車に乗って帰って行った。
(儀式?あれが?それにしても、さっきの金メッシュのお姉さん、どこかで見たことあるような)
男の子が無事でなによりだが、数時間前の恐怖体験は、田舎に似つかわしくない女性の存在感にいつの間にか塗りつぶされていた。
今日も残業だなこれは……。