【短編小説】K地区にて②|アレルギー
アレルギー
秋になって、K地区でしか見かけない黄色い花を見ると、Sさんのことを思い出す。
Sさんは、俺が異動でこの班に配属になったときにK地区の担当だった。
班内では年長者で、年齢もあり仕事が速いわけではなかったが、いつも穏やかでやさしい人だった。
ある時スギ花粉に苦しんで目薬をさしている俺を見て、「おいは(俺は)、生まれてこのかた花粉症になったこと無いんだよ。おっきな病気をしたことも無いんだぁ」なんて笑顔で話してた。
秋になり、Sさんが配達帰りに黄色い花を持ち帰ってきた。
植物に詳しくない俺は、「きれいな花ですね。飾るんですか?」と聞くと、「めずらしい花だから一本だけね。ずっと気になってた花なのよ。良い香りだし」といつものやさしい笑顔で返してきた。
実はあまりいい香りに感じなかったのはここだけの話だ。
翌日出勤してみると、Sさんは見るからに体調が悪そうだった。というか表情があまり変わらないし動きも遅い感じがした。
一週間もすると、Sさんは常に余裕がなく、イライラしているような状態だった。
いつも時計を気にして早く帰りたそうにしているのも、このあたりからだったと思う。
それでも俺が心配して声をかけるとちゃんと返してくれた。このとき俺は、Sさんはもしかして病気なのかな?くらいに思っていた。
一か月後、Sさんは業務中、支離滅裂な言葉を叫び出し、そこから出勤することはなくなった。後で班長に聞くと病欠あつかいになったみたいだ。
会社内では、「Sさんストレスたまってたんだなぁ」なんて噂して、まるで人ごとだった。
この会社ではそんなにめずらしいことではなかったし。
それから数か月たって、班長がSさんのもとを訪ねたという話を耳にはさんだので、気になった俺は班長に質問せずにはいられなかった。
「班長、Sさんどうでした?」
「……」
「ストレス系の病気とかですか?」
「ここだけの話、Sさん、心がだいぶおかしくなってる。こっちは仕事の話がしたいのに、花がどうだとか、話してても埒が明かん」
ただでさえ人が足りない状況でのさらなる欠員に、班長は頭を抱えていた。
Sさんの欠を埋めるべく、俺がK地区を担当することになった。
あいかわらず日々の配達は忙しかったし、新しい地区を覚えることに精一杯だった。
悲しいもんで、俺たち現場の人間なんて替えのきく部品と変わらない。次第にSさんのことも話題に上がらなくなった。
その日はくもりで、午後から大荒れの天気予報だったが結局雨は降らず、配達は無事に定時で終わりそうだった。
川沿いの土手のふもとにバイクを止め備品の整理をしていると、びゅうっと風が吹いた。
雨が降ったときに手紙を守るために積んでいたビニール袋が土手をはさんで反対側に飛ばされてしまった。
放っておこうかとも思ったが、そのまま帰るわけにもいかず歩いて土手へ上がった。
「配達員がゴミを投げ捨てていた」なんてくだらないクレームはもらいたくはないし。
土手から反対側を見下ろすと、そこには数十本、いや数百本の”黄色い花”が咲いていた。
Sさんがこの”黄色い花”を持って帰ろうとしたときの会話が、頭の中にフラッシュバックした。
なぜこんな大きな花畑に数か月間気がつかなかったのか、少し不思議に思ったが、吹き続ける強い風にあおられて、その考えもすぐにどこかにいってしまった。
花のひとつに袋が引っ掛かっているのをすぐに発見したので、駆け足で黄色い花畑に近づく。
さっきまで花が倒れるくらいに吹いていた風が、急にぴたりと止んだ。
風の音どころか、物音ひとつしない静寂がおとずれた。
さらりと静かに風が吹いた。
甘ったるい強い香りが鼻をつく。
黄色い花畑全体がゆらりとそよいだ。
まるで手招きしているみたいに。
俺の体は自分の体じゃないみたいに花畑にゆっくり吸い寄せられた。
黄色い花まであと数メートルというところで、猛烈な目のかゆみが俺を襲った。
まだ午後四時前だったが、気味の悪さを感じ、袋は諦め、バイクまでダッシュした。
バイクに向かう途中、俺は再びSさんのことを思い出していた。
そして初めて自分の花粉アレルギーに感謝し、スギ花粉のために買った二千円もする目薬はこの猛烈なかゆみに効くのだろうか、ということで頭がいっぱいになった。