蠕動運動
小さい頃、父親のトイレの長いのに辟易していた。
朝の忙しい時に30分近くもトイレを占拠し、悠々と自適に新聞を読んでいる。
何をのんびりしているのか?こちとら暇じゃないんだ。学校が俺を待っている。
でも今ならよく分かる。
年を取ると全てが衰えてくる。機能的なもの、気持ち的なもの。蠕動運動もしかりである。
要は出てこないのだ。催してはいるものの、腸の働きに活発さが足りない。瞬発力もない。
長丁場は必須。それなら新聞でも持ち込んで…、とこれが持久戦への呼び水となる。
今は私があの時の父となり、持ち込むものはスマホ。ドアの向こうでは中学生の娘が「お父ちゃんまだ~?」と。
巡る巡るよ時代は巡る。
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