「」
世の中には2種類の人間がいます。人にエピソードを話す際、「」を遣う人と遣わない人。
どういうことかと言いますと、たとえば。
スーパーに買い物に行きました。いつも買ってる食パンが棚にないので、店員さんに訊くと、今日はもう売り切れてしまったとのこと。仕方ないので明日の朝のパンは諦めることにして、メモに書き留めておいた他の食材をカゴに入れてレジへ向かいます。合計ぴったり700円。このご時世に珍しく、その店は現金払いしか扱っていないということなので、小銭を持ち合わせていなかったため千円札を出したところ、レジのおばちゃんが300万円と言いながらお釣りを手渡してくれました。
これが、「」なしのエピソードトークです。一応念のためお伝えしておきますと、おもしろい話ではないですからね。おもしろい話をするなんて、私言ってませんよね。
そして「」をやたら遣う人がこの話をすると。
「スーパーに行ってくる」って言って出たのね。いつも買ってるパンがないから「ここのパンは?」って言ったら「今日はもうないんです」って言うから「あら、困ったわね。でもないものはしょうがないね」と言って他のをカゴに入れてレジへ行ったの。「700円になります」って言うから、「これでお釣りください」と言うと「はい、300万円」なんて言ってお釣りを渡すのよ。今時珍しいわよね。
となる訳です。
この話法を使う人は必要以上に話をドラマティックにするキライがあります。
そりゃそうですよね。「」は要はセリフですから、その都度その都度、喋ってる人物を演じながら話を進行することになるわけです。
演じるということは、そこに感情が乗りがちですから、本人の意図しないところで話を盛ってる可能性があります。
それと、自分がそのエピソードの中に入って話をしているため、自分が見えている景色を、聞いてる方も当然共有しているだろうという錯覚に陥りやすく、必然、大事なディテールをはしょりがちになります。なので、話の筋が見えにくい。
そして、これは偏見かもしれませんが、この話し方をする人は総じて、話法自体がドラマティックなのにもかかわらず、演技が下手です。
だから登場人物が増えるにつれて、今のその「」は誰のセリフなのか?が分からなくなるのです。
以上が私の偏見です。