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記憶は心が作り出した幻かもしれない

専門的なことは分かりませんが、私には忘れられないほど傷ついた思い出がいくつもあります。そのほとんどが両親よって引き起こされたもので、一番古い記憶は幼稚園の頃にいきなり外に出されたこと。
夜になっても締め出されたまま、声を出して泣くと怒られるので、今の母は本当の母じゃない、自分を産んだ母は遠くにいるのだと思いました。それが、母に愛されてないと気づいた最初のトラウマです。

そんな記憶ばかりがたくさん残っているので、私の子供時代はつらく寂しく、その後の人生にも長く影を落としてきました。
それをトラウマと呼ぶのであれば、トラウマの弊害とは、平穏な日常の思い出まで暗く覆ってしまうことでしょう。

本当は楽しいこともあったはずなんです。母だっていつも怒っていたわけではないし、嬉しいことも恵まれていたこともありました。それなのにトラウマのせいで、自分の人生が不幸の連続であったかのように感じられて、こみ上げてくる怒りに苦しみました。

そんな元凶のようなトラウマをどうやって取り除けばいいのか。
そもそも、消すことなんてできるのでしょうか?

経験から言わせてもらえるなら、可能だと思います。どんなに時間が経っても後から消すことはできると思います。しかも、消した後にはそれを埋めるように新しいストーリーが作られて、新しい人生に置き変わるから不思議です。

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実はここ数年、似たような状況に遭遇し、過去の感情を追体験するような出来事がありました。はるか昔に感じた苦しみをもう一度リアルに経験し、心が覚えている過去の痛みと重ね合わせるのです。

ここで重要なのは、単に思い出をたどるのではないということ。
予期せぬ事実に対して起こる心の反応をダイレクトに感じるので、隠された痛みが引き出されます。現実ですから当然「うわあ……」と思った瞬間に頭のてっぺんから血の気が引き胃がギューンと引っ張られ、あまりのショックに息ができなくなることもあります。
それでも過去の記憶に残っている苦しみなら「あの時と同じだ」と認識できます。

一度目は致命的でも二度目は余裕。
過去に経験しているダメージなので、ひとまずその場を離れて気持ちを落ち着ければ大丈夫。

その後に浮かんでくるのは、過去に未解決のまま押さえつけてきた怒りや悲しみ、悔しくても言い返せなかったり本当は相手に伝えたかったこと。それを後悔なくやり遂げれば、心がぐっと軽くなってトラウマ解放。まさに記憶の供養というか、成仏させるというか。

このやり方でトラウマを消せることは専門家の動画でもよく見かけますが、いきなりやると危険だそうです。一歩間違えると逆効果になるんだとか。

自分の場合は50も過ぎてそれなりに歳だったこと。わが子や夫に激しく八つ当たりされる経験もしたので、偶然うまくいったのかもしれません。おかげで何十年も心にわだかまっていたトラウマが一つ一つ消えていったのですが、驚いたのはその後で、過去の記憶がマルっと変わってしまいました。

全く違う内容にすり替わったというか、違和感なく真実のように話せるというか、時間が経ちすぎて記憶そのものが消えたのかボケたのか、想像で組み立てたストーリーの方が本当に思えるのです。

勝手に作った架空の話を自分でも信じられるってすごくないですか?
トラウマだった頃は細かいところまで鮮明に覚えていたのに、どうでもよくなったらいきなりあやふや。

そこで、思ったんです。
もしかすると、幸せな思い出とは、忘れるくらい気にならないことなんじゃないだろうか……

すっかり大人になってしまった息子に「小学生のころ家族で○○に行ったこと、覚えてる?すごく喜んでたでしょ」と言っても全く覚えてないのですが、それは「記憶に残るほど楽しくなかった」というより、「特別に楽しいと思わなかった」から。そのくらい、毎日が同じように楽しかったのかもしれません。

記憶というのは、普段とは違うことだからこそ強く心に残っているわけで。穏やかな感情というのは逆に残らないのかも。

実際にトラウマが消えてからは思い出せる記憶も減りました。

それまでは過去が今と繋がっているというか、自分を作っている大切な要素のように感じていたのですが、最近はそうでもなく。自由にストーリーを作って記憶をすりかえることに楽しさを感じるようになりました。

あんなに苦しかったはずの大学生活も、今ではちょっと無理したほろ苦い思い出。

過去は自分の中にある記憶であって、実際にそうだったかは確かめようがありません、というより、過去の出来事の真偽なんてどうでもいい。自分がそうだと思えばそれが事実です。

だったら楽しい記憶に書き換えてしまえば、今の自分が恵まれた存在に変わって、未来も変わるのではないでしょうか。

何とも不思議な話ですが、記憶というのは実は心が作ったまぼろしで、心が変わればいくらでも上書きすることができるのもしれない。

まだちょっと明確ではなくふわふわしてますが、大切なのは過去よりも現在の心の在り方。それこそが物事の意味を変え、未来を作るのかもしれないと思います。






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