人生58年目にして、ようやくつかんだ「幸せに生きるコツ」歯科医としての挫折、その後のパート経験、100冊超の自己啓発本とネドじゅんさんが自分を変えた、その方法とは……
元歯科医なんて言うと、頭が良いことを自慢しているように感じられるかもしれませんが、自分はどうやっても医学部には届かなかった凡人です。
勉強する環境を作り、飴と鞭をうまく使い分ければ子供は頑張りますから、学力が伸びたのは親の教育の賜物です。おかげで私は努力し続ける素直な良い子に育ちました。
良い子は自分が何を我慢しているのかに気づかないまま育ちます。その結果、抑圧された欲求がついに爆発したのが26歳の時。
発作的に車に突っ込み交通事故を起こして死にかけ、統合失調症と診断されて引きこもりました。
27歳になり塾講師として働きながら婚活し、31歳で結婚。その後は転勤族の夫について専業主婦になり子育ての合間にSNSに没頭して。
その後51歳でパートに出たのですが、周囲からは異質に見える存在だったようで、素直に従うので面白がられたり舐められたり、真面目さを不器用と言われたり。そんな状況に耐えられず転職した回数は10回以上。
生き方を教え、導きたい人を引き寄せてしまうのは、自己肯定感の低さに原因があるらしい……
過去のトラウマから未だに劣等感が消えないままでいる自分が情けなく、強くなりたいと思いました。
再び成長するために
具体的にどうすればいいのかわからないので、kindleで本を買い、片っ端から読み漁りました。ようやくメンタルの本が増えてきた頃で、アドラーの心理学から始めて、そこから日本で有名なカウンセラーや評価の高い精神科医の本、併せてYouTubeの動画も。
それと同時にパートで起こる様々な問題に対処しながら、インプットした知識を実践しては検証し、また実践するという繰り返し。
不安を感じると動揺してミスをするので、落ち着いて行動すること、苛立った周りの空気に鈍感になることを心がけ。
詳しいことは過去記事にも書いていますが、トラブルが起こるたびに苦しかった過去が次々と掘り起こされるので、一つ一つ対処して手放していく作業が大変で、そればかりやっていた気がします。
そんなことを6年くらい続けていたある日、大好きなナオキマンの動画でネドじゅんさんを知りました。その時は純粋に「驚いた」というのが正直な感想です。
直観的に「これだ」と思いました。
つまり「思考が邪魔していること」「自分の体と対話すること」
私は10代の頃からずっと「神様は自分の中にいる」と感じていました。
神様は空ではなく自分の中にいるなと。おそらくDNAという形の中にあるのだろうと、生物の授業を通じて確信しました。
なので、苦しくなったら自分の心の声を聴く、ということをやっていたんですが、そのたびに色々なことがひらめきました。そこで感じたこと、これは確かだと思ったこと、それらのほとんどが専門家の本によって実証されていたので、なかなか的を得ていたようです。
そんな私の直観が「これは正しいよ」と教えてくれたのが「思考をやめること」と「自分の体に感謝を伝えること」でした。
自分の体に声に出してありがとうを言う
毎朝、毎晩、いつでもいいのですが、幸せだなあと思ったら、幸せを感じながら体に向かって語りかけて「ありがとう」と言う。
私の場合は、「ごはんが食べられてありがとう、今日も目覚めてありがとう」ということまではやりませんが、長年ずっと痔と便秘に悩んできたので、スッキリ出たら必ず、お腹をさすって「ありがとう!ありがとう!」と大きく声に出して感謝することを始めました。
加えて、心から幸せだなあと感じた時にだけ、心からの感謝を体に伝えるようにしました。
コロナになって死にそうだと感じた時にも、最後まで一緒だよ、と体に語りかけ。
そんなことを去年の夏から一年ほど続けて、ついでに、気が付いた時にエレベーターの呼吸で思考を止めることもやっています。
ただ、怒りや思考の勢いは止めることができません。
ホントに嫌なことがあるとどうやっても思考を抑えきれないので、そういうときはもう仕方がないと諦めて、ほったらかしています。
普段は極力考えないように意識して。
たとえば、「今の私の行動を、周りはどう感じたかな」とか「あんなことを言って怒らせたんじゃないかな」とか。そういう細かい気遣いをやめることにしました。
職場には怒らせるとやばいキーパーソンがいますから、気を遣わずにはいられないのですが、そういう人を不快にしない、敵意を芽生えさせないためにも意識しないことが重要だと感じるようになりました。
気負うと自分をガードしてしまうので、それがよくないみたいです。
あくまでも空気のように、「そういう人なんだ」くらいの存在感がちょうどいいというか。この雰囲気を出すためには、とにかく体の周りではなく、足元に意識を集中した方がいいことに気が付きました。
つまり、足元を固める。
大地とのつながりをしっかりと持つ。
そこではつながっているという意識を持つ。
そうすると敵ではなく、周りと調和した一つの個性になってくる気がするのです。
「何言ってんだ」と思われるでしょうけど、人間は波動を出しているのは明らかで、気持ちは波動になって相手に伝わります。負けたくないとか、自分を認めさせたいとか、馬鹿にされることに怒りを感じると、それが相手に対する攻撃の波動になってしまうらしいのです。
なので、木になったような気持ちになるというか。
木なら、その枝が多少じゃまになっても気にならないし。
それを「切ってやる!」という人は最初からどうにもならないので離れるしかありません。
それが今、私が感じている「確かな」ことです。
それに加えて、「これがしたかったんだ、こうなりたかったんだ!」ということが叶ったら自分自身に感謝する。その喜びを大げさに伝える。
過去の失敗とか経験は関係ありません。思い出して比較するだけ損です。どうしても気になって思い出すなら、引っ張り出してその感情を受け入れて手放します。
常に新しい気持ちでいること
それで不安が消えることはありませんが、少なくとも、現実が味方してくれるようになる気がします。
まあ、何の肩書も実績もないおばちゃんの感想なので役に立つかどうかはわかりませんが、実はこの1ヶ月間で、まるで別の世界にいるんじゃないかと思うほど現実が変わってきました。
ようやく解放されたというか、長いトンネルを抜けたというか。
人のふり見てわがふり直したこと
きっかけは一か月前。
実際に、現場を仕切っている責任者からの指示に「はいっ」と答えてテキパキと動く優秀な新人さんと出会い、その様子を見ることで「そうか、自分もこういう風に見えていたんだ」と気が付きました。
現場責任者は元小学校教諭でガンガン来る人ですから、真面目に言うことを聞いていたらメンタルが持たないだろうと思いましたが、優秀な彼女は「なんのその」といった雰囲気で、人が嫌がる仕事まで率先してこなします。
そこには「私はできる」という気持ちが駄々洩れというか、プライドの高さが分かるというか。聞けば、大学を出て今もカルチャーセンターで講師のバイトをしているとのこと。
(そうかぁ、「認められたい」という気持ちがあるとこういう風にみえるんだ……)
競争心はあっても露骨には出さず穏やかでいい人だけに、こういう生き方は苦しいだろうなあと感じました。私もそうですが、人間性を保ちながら仕事していると、やりたくないことまで我慢して怒りが強くなってしまいます。
結局、1か月一緒に働きましたが、バッサリと縁を切るように辞めてしまいました。
自分の能力を発揮しても嫌がられず、むしろ周りと調和しながら生きたいと思うなら、無理してまでやらないことかもしれない……
目指すのは「優秀だけど自己主張の少ない、いい人」ではなく
「存在感はあるけど、それが個性として許せる人」です。
その為には「仕事をテキパキとこなす」のではなく、イヤなことははっきりと態度に出す、言えるならちゃんと言う、自分の気持ちとして周りに伝えた方がいい。
そう思ったので、それ以来、気負わないことを心掛けるようになりました。
イヤなことはそのまま抑えず態度に出し、自分の気持ちを周りに伝え、その結果、やりたい仕事を任せてもらうことが出来ました。
緊張するかと思いましたが意外と落ち着いていたというか、自然体の穏やかさというのは周りに伝わるものですね。
これが引き寄せのコツというなら、そうなのかもしれません。
まさかこんな日が来るとは思わなかったというか、願いが現実になってパラレルワールドにいるみたいというか。
ようやく現実が変わり始めたので、このまま楽になっていけたらいいな、と思います。