保護者だったら、教師だったらどうすればよかったか?当事者として考えてみる
こういう事件を見たとき、私は「もし自分が当事者だったら、どうするとよいだろうか?」と考えることにしている。親の立場、教師の立場、それぞれをシミュレートする。できるだけ悲しい結果を引き起こさずに済む方法を考える。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8217a4588d45460da2e4fc4eb9abc8b0254d3f0?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20240408&ctg=loc&bt=tw_up
というのも、私の場合、事前に心構えがないと臨機応変ができないからだ。どんな事態が起きても臨機応変に、できるかぎり適切な反応をしたい。そう心がけているので、「こんなことは自分の身に起こりえない」などと他人事のように構えず、自分事として、何ができるかを考えるようにしている。
その視点で考えた場合、今回の件、親に打てる手は限られているなあ、という印象。教師からの「卑怯者」という言葉は、青年の心を殺してしまう。殺してしまったあとで蘇生させようとしても、無理がある。殺された心をよみがえらせることは、困難。
困難になる一つの理由は、思春期に入っているということ。思春期は、親の影響下から離れ、第三者との関係を築いていく時期。子育てとは、親が死んでいなくなった世界、第三者だらけの世界で、うまく泳ぐ力を身に着けてもらうことだとすると、思春期は、まさに第三者と関係を築いていく重要な時期。
その第三者の権化である教師から「卑怯者」とレッテルを貼られると、「第三者の海」に飛び込むことが恐怖になっても不思議ではない。もはや第三者との関係を結ぶことは困難、と思い込んでも仕方ない。思春期は思い込みの激しい時期でもある。もしそんな状態になってしまったら。
親が子どもにかけられる言葉はなくなってしまう。どんな言葉をかけても、子どもの心には届かないだろう。しょせん、親は第三者にはなれないのだから。第三者の言葉を覆す力が、親にはないと子どもにはみなされるのだから。だから、親として打てる手は非常に限られているように思う。
できることがあるとすれば、面談の際、教師に「卑怯者」という言葉を撤回してもらうことだろう。言い過ぎた、と謝ってもらうことだろう。しかしこれも容易ではない。教師は青年にレッテルを貼っているのだから。そう決めつけているのだから。心を殺しに行っているのだから。覆すのは困難。
どうしたら教師に、その言葉を撤回してもらえるだろう?この場合、「ウソも方便」を用いるしかないかもしれない。「うちの子どもは常々、先生のことを尊敬し、今日はこんな話があったんだよ、と嬉しそうに話しております」と、まずは嘘八百でもいいから、教師の固く閉ざした心の扉をこじ開ける。
「そんな尊敬している先生から『卑怯者』と呼ばれると、息子はショックすぎて立ち上がれないと思います。今回のことは息子の落ち度であり、言い訳できないことです。その点は大変申し訳なく存じます。ただ、どうか、息子を見捨てずにいてやってください。本当に先生のことを尊敬しているのですから」
ここまで言われると、多くの教師は、実は尊敬されているなんて知らなかった、とちょっと驚くだろうし、そう思われていたことに気づいて悪い気はしないだろうし、もしそうだったとしたら、「卑怯者」と断罪したのはちょっとやりすぎたかな、と反省する気持ちが湧いてくるように思う。
人間というのは、好意を向けられていると知った人間に対して、そうそうひどい態度をとれるものではない。その好意を失いたくない、つなぎとめたい、と思うもの。本人ではなく親がそう言っているということは、親からの尊敬も得ている、ということになるから、親にも無碍な態度はとりにくくなる。
多くの場合、親からこうした声掛けをされたら、態度は軟化すると思う。「今回のことは決して許されないことだけれど、君に期待しているからこそ言っているんだよ」と、言葉が優しくなってくる可能性が高いように思う。そうなれば、「卑怯者」という言葉のどぎつさも、和らぐ可能性がある。
私は、子育ては親だけではできないと考えている。すでに述べたように、子育てとは、やがて先立って死ぬことになる親のいない世界、第三者しかいない世界で生きていける力を育むことなのだから、第三者との関係を結ぶことが、子育ての目的だといえる。つまり、第三者との関係が大前提。
だから、親は基本、頭を下げまくり、感謝しまくることで、子どもにできるだけ良好な第三者との関係が生まれるように心を砕くことが大切になる。何なら、敵対的な第三者でさえ味方につけてしまうくらいの芸当が、親には求められる。
今回の教師の接し方は、非情で対応がかなり困難。でも、こうした「敵」ともいえるような態度をとる人さえも、味方につけるくらいの知恵が必要な時がある。親は、多少のウソを織り交ぜて、「ウソをマコトにする」くらいの腹芸をしなければならない場面も訪れる、という心構えが必要かもしれない。
「家栽の人」の主人公、桑田判事を評する言葉に「あの人は、子どものためだったら平気でウソをつく」というのが登場する。「ところが、そのウソがマコトになるんだ」と続けて。大切なことは、結果を良い方向に導くこと。良い結果をもたらすには、どんな知恵を働かせるかが大切。
今回の件の場合、教師の態度を軟化させ、あわよくば、子どもや親からの尊敬を失いたくないと思わせ、好意的な態度に転換させること。「敵」を「味方」に変えてしまうこと。これを臨機応変にできるように、親としては普段からシミュレートし、訓練しておきたい。
そうすれば、「卑怯者」と子どもの心を殺しに来た言葉をその場で撤回してもらい、逆に応援団を一人増やすことに成功できるかもしれない。今回、親の立場でできることは、そのくらいが限界だろうか、と考えている。
さて、次は教師の立場で考えてみる。今回の教師は、悪いことをした奴は悪い奴、悪い奴には重い罰を与えて懲らしめる必要がある、という非常に単純な思考に陥っていた気がする。「悪いことをしたら罰を与える」以外の思考が感じられない。もしそうなら、残念ながら、これでは教師失格という気がする。
大切なのは、何か問題が起きた時、それを子どもが変わるチャンスにしてしまう知恵。教師とは、普段からその訓練をする職業なのだと思う。なのに、単純に罰を与え、しかも「卑怯者」とレッテルを貼って吐き捨てるような態度をとるのは、一般人でもできる。教師という職業にふさわしくない態度。
繰り返しになるから要約するけど、孔子の弟子である子皐(しこう)が、裁判官として足切りの刑に処した男から命を助けられたのは、その男の事情を理解し、なんとか罪を軽減できないかと苦悩したのが男に伝わったから。こうした場合、男は罪を犯したことを深く反省するもののように思う。
もし子皐が「お前なんか足切りの刑でもまだ甘い」などと吐き捨てるように、切り捨てるように言っていたら、男に対してひどいレッテルを貼っているように伝わっていたら、孔子一行は皆殺しにあっていただろう。罰を与えるにしても、どういう姿勢かというのはとても大切。
もし教師が、「なんでこんなことしたんだ、残念でならないよ」と悔しがり、その子の事情をなるべく汲み取ろう、という姿勢を見せ、理解に努め、今後はその事情を一緒に改善しよう、という態度をとり、その上で「ルールなので、どうしようもないんだ」とつらそうに罰を言い渡していたとしたら。
こんなに自分に寄り添おう、歩み寄ろう、理解しようとしてくれている先生に、自分は何ということをしたのだろう、と、本心から悔いる気持ちになるだろう。むしろこの事件をきっかけに、子どもは大きく前向きに変化する可能性がある。大きく成長する可能性がある。
「ああ無情」の主人公が、それまで不幸続きですっかりやさぐれ、教会から燭台を盗んだのに、教会の司教が「これは私が彼に差し上げたものです」と警察にウソをついてまでかばってくれたことに衝撃を受けて、改心するシーンがある。人間は、理解を示してくれた人間を裏切ることは難しいように思う。
教師は、問題が起きたらそれを子どもが変わるチャンスにしてしまう意気込みを普段からもち、臨機応変にそれが繰り出せるよう、心の中でシミュレートを繰り返す必要があるように思う。今回の教師は、その訓練ができていなかったのではないか。子どもがどんな衝撃を受けるか考えていなかったのでは。
今回の事件で汲み取るべきは、親が悪いか教師が悪いか、と、「存在」を断罪することではない。親がどう関われば最悪の事態を回避できたか、教師がどう関われば問題をチャンスに変えることができたか、その教訓を読み取ること。そのためには、「存在」ではなく「関係性」に着目することが重要。
今回の事件、カンニングした時点で親ができることは限られている。思春期の青年には親の言葉は届きにくく、第三者の言葉が突き刺さる時期。だから、自殺に至った経緯で重い責任があるのはやはり教師で、その振る舞いで結果が大きく変わってしまうのは事実だと思う。親はそれを若干和らげるのが精一杯。
親の立場としてできることは、敵側のような姿勢で凝り固まっている教師の心を、ウソでも何でもいいから解きほぐし、態度を軟化させ、あわよくば息子の味方に変えてしまうこと。ウソをマコトに変える知恵を働かせること。そしてできたら、「卑怯者」と心を殺しにきたナイフを抜いてもらうこと。
教師は、ただ単純に罰を与え、子どもを罵ればいい、という単純思考を改め、問題をチャンスに変える知恵を身に着けるよう、工夫を重ねたい。今回の事件から汲み取るべき教訓は、同じ状況に置かれたとして、事態を好転させる知恵を得ること。誰かを悪者にするだけでは、学びはない。