過剰教々
都市部で子どもの指導をしてる友人の記事がとても共感できたので、承認得たうえでシェア。
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最近の教育業界に身を置きながら、お金をかけずに子供のポテンシャルを引き出す方法について考える
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教育業界での今の私の仕事は私立中高生専門塾と英会話スクールとオンライン英会話なんだけど、その3つに身を置きながら仕事していく中で思うことをつらつら書いてみる。
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まず、私立に通わせてるママに関して言えば、管理ママがものすごく多い。昔と比べてどれくらい増えてるかまでわからないけど、芸能人かと思うくらい管理されてる子供がたくさんいる。これは、子供四人を東大理三に行かせた佐藤ママの影響やLINEなどのコミュニケーションツール(母親からのLINEには15分以内に返信するように言われている子などがいる)、それから子供の数(少ないとその分時間やお金をかけられる)なんかの影響も大きいのかな?と思ったりする。
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管理ママたちはいろんな教育系情報を取り入れているし、どこの学校や塾がいいとか、とにかく同じような目的を持つママ同士で情報交換も活発にやっている。私なんかよりずっと詳しい人がうじゃうじゃいるので、「それ何ですか?」とこちらが聞き返すこともあるくらいだ。父親はあまり出てこないのでよくわからないけど、高収入で無関心あるいは母親に完全に主導権を握られているパターンが多い。
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母親は大別して二つで、そこそこ勉強できたタイプと学歴がパッとしないタイプに分かれていて、前者はプライドが高く、「うちは他とは違う」と思っていて、実際に家庭内で子供の前で言っていたりする。そしてマウントを取り続けるために子供を使って「あなたもうちが他とは違うということを証明しなさいよ」くらいの勢いで子供に詰め寄る。後者は自分ができなかったことからのコンプレックスと焦り、不安から「あなたができてくれないと私の立場はどうなるの」と思っていたりする。
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私の印象で、より暴言やお仕置きなどの虐待要素が強いのが前者、より切羽詰まってひたすら問題集や塾のコマをプラスして足し算しかしないのが後者という印象。前者も子供に強いるんだけど、お仕置き時間とか説教時間が異様に長く、その時間は勉強していないことになるため、トータルの勉強時間としては後者よりも減る。本末転倒なんだけど、しかし親本人は気付いていない。
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そういうのを日々見ていると、子供が不憫なのと、あとマクロで見ても「こんなところから大物は出ないよ。よくて小粒、下手したら潰されて精神やられるなぁ」と見てて思う。ここまでママたちをドライブさせる教育業界の不安ビジネス風潮もよくないけど、情報に振り回される人というのは、本人の中に自分自身が試行錯誤したり行動した経験がないからだと思う。行動して考察して得てきた結果がある人は、うっすい情報や根拠のない情報に振り回されることがない。ちゃんとブレないものが自分の中にある。だから、足し算オンリーになることがないし、いらないものは取り入れない、不要なことはしない、という判断ができる。
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はっきり言って、大学に入学するまでにやることなんてほぼ決まっていて、それは何十年も変わってないんだから、一定レベルのことを一定量こなす作業に近い。ただやればいいだけだから、あるレベル以上の頭脳がある子は一人で独学でやれる。おそらく一番コスパのいいやり方は最低限度の単位が取れる程度に高校に通って、あとはひたすら自習でもすることだろう。一番時間が有効に使える。
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が、これは勉強ができる子の場合であって、普通の公立中学の場合、そんな子は2割以下くらいしかいないんじゃないかな。たいていの子は塾など補助が必要になってくる。でも、この補助の手も届かないほど読解力が落ちている現象が起きていて、教育関係者が手を焼いている状況なんだと思う。
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端的に言って、今の子たちは余白がなさすぎる。常に何かに追われていてゆっくり過ごす時間もない。ぼーっとしたりすることがない。親がそれを許さないから。
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でも、デフォルトモードネットワークという神経回路の活動は、ボーッとしているときに活性化するから、何もしない状態ってすごく大事。この神経回路の活動は記憶を整理したりアイデアを結びつけてくれるような脳内編集作業をやってくれる。私なんか一日のうちボーッとしてる時間の方が多いと思う。これって睡眠と同じくらい大事。はたから見たらアホに見えるけど。あるいは完全にルーティン化してる作業でも行われていたりして(ルーティンが自動操縦的にできる動作だったりするから。つまりボーッとしている)、たとえば料理をしている時なんかに翻訳にぴったりな言葉がポンっと出てきたりする。
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別にデフォルトモードネットワークという言葉を知らなくても、こういう経験をしたことがある人は体感的にボーッとする空白・余白時間の大切さってわかっていると思う。そんな脳内編集作業なんて行われた経験ないという人は編集するほどインプットしてないからだろう。
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で、だ。突然話は変わるけど、「金かけなくてもどうやって未来を切り開いていけるか」ということについて考えている。もう答えは私の中にあって、対話(自己・他者共に)をするための言語化と行動だなということ。私自身はもうこの二つだけでここまで来たなと思っている。親の資金力もあるけど、私の場合、地方在住者が都会の私立大学に子供を通わせる程度の費用だったから莫大な資金がかかっているわけではない。高校までは短期講習以外、塾も行ったことないし、習い事もピアノ書道そろばん水泳をやったことがあるくらい。あくまでお稽古程度。
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自分の子供たちもそうだけど、自分の生徒ともよく話すようにしている。正確には、話を聞いている。聞いてもらいたがっている子、自分に興味関心を持ってくれる人に彼らはほんとに飢えていて、そんなだから、最後のコマの子たちは授業が終わっても私と一緒に駅まで帰りたがって支度を終えるのをいつも待ってくれている。
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対話をすることで、脳が使われるし、そこから何かの行動が生まれていく。また、誰に見せなくても、セルフカウンセリングとして文章を書くということを習慣化していると、自分の欲求や思考を把握しやすいし、書く前には思いつかなかった発想が出てくる。
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これを繰り返してたらイヤでも読解力はつくし、読解力つまり国語力がついたら全教科に波及する。そして言語化と行動は受験に限らず、そのアクションはその人にとっての幸せをもたらしてくれると思う。実際、私幸せだしね。
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もっとも、「他人から幸せだと思われることが私の幸せなの!」という人は「なんだか哲学的ですね」だから言うことないんだけど、勝手にしてくれたらいいんだけど、ただそのために子供を道具として使わないでね、とは思う。
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引用終わり。
そうだよなあ、「過剰教育」、いや、教えるばかりで「育つ」のを待たないのだから「過剰教々」だな、と思う。本来学習は、子どもが能動的に取り組まないと身につかない。しかし「与える」ばかりやって、子どもが咀嚼するヒマを与えていない。口の中に食べ物流し込んで噛ませるゆとりも与えない感じ。
大人が出力、子どもは入力される側に立たされてる。これでは受動的過ぎて、何も頭に残らない。バットの振り方教えて振らせないようなもの。ピッチングを教えてボールを投げさせないようなもの。なんとゆとりのない姿か。
子どもが嬉々としてしゃべる、これは大切な「出力」。そして何より楽しい。楽しいから能動的。能動的だから頭脳がものすごく刺激され、整理されていなかったことが整理され、理解が進む。実は楽しい無駄話が子どもたちの頭脳を激しく刺激する。このことに気づいていない人が少なくないのでは。
友人の危機感と見立ては、私には極めて妥当に思える。子どもが嬉々として話してくれることを、ニコニコと大人が聞く。それだけで子どもの能力は大きく伸びるのに、と思う次第。