本や図鑑は知識を得る手段でしかない(目的ではない)

子育て系の雑誌からインタビューを受けたとき、「どうやったら子どもが本や図鑑を読むようにできるでしょうか?」と質問を受けた。私は「読ませようとするから読まんのと違いますかね」と答えた。どうやらその雑誌は、子どもに本や図鑑を読ませたい教育熱心な親御さん向けに記事を書きたい様子だった。

でも私は不思議に思う。なぜ本や図鑑からしか知識は得られないと思い込んでいるのだろう?と。マンガやゲームからでも知識は得られるのに。
すると、そのこと自体は否定しないけど、本や図鑑は知識の密度が違うからとかなんとか、答えが返って来る。でもそれ、本や図鑑を高みに置いてるだけよような。

私の息子は以前、バウムクーヘンを5等分に切る工夫を思いついて、ツイッターでえらくバズった。そのヒントは「はなかっぱ」というアニメから得たものだった。ナオナリというキャラクターがケーキを7分割に切る様子を見て「これなら何分割でもできる」と思いつき、やってみようと思ったのだという。

大切なことは、どんなことからも知識や教訓を得ようとする、ダボハゼのような貪欲さだと思う。息子も娘もマンガやゲームを楽しみながら、そこから知らなかったことを見つけては、自分のものにしている。遊びの中からも、料理からも、洗濯からも、風呂に入っていても、知識の発見がある。

私達夫婦が大切にしているのは、「どんなことからも、どんなときでも学びはある」ということ。日常から新しい発見をし、「知らなかったなあ」と驚きの声を上げる。それをしていれば、何も本や図鑑に限定しなくても、子どもはどんなことからも貪欲に学んでいくように思う。

「知らなかった」を「知る」に変えることは快感。だから、子どもは「知る」ことの楽しみさえ覚えれば、遊んでいるだけに見える瞬間も何かしら学びを得ようとする。本や図鑑だけを学びの対象とするのは狭いしつまらないと思う。

どんなことからもまなびを得ようとする「遊び」をしているから、自然と本や図鑑にも手が伸びるようになるのだと思う。息子や娘は、図鑑をボロボロにするまで読み込んでる。息子は漢和辞典が愛読書。もうボロボロになってきている。なぜそんなに読むかというと、日常の中に不思議や秘密を見つけるから。

日常の何気ないもの、それはマンガやアニメやゲームだったりするかもしれないけど、「なんだこれは?」と疑問に思うことにぶち当たったとき、それのことを書いてそうな本や図鑑・事典を調べようとする。だから、本や図鑑を最初に据えるのは間違い。大切なのは日常での好奇心と発見。

今年は西粟倉村の牧さん、熱田さん、道端さんが来てくれて、ウナギ釣りの方法を教えてくださるというので、子ども2人学校休ませて、自分も仕事を休んでご教授頂いた。ウナギは水の流れが緩やかでエサの集まりやすいところを好むという。それを川の現場に入って観察すると。

水の流れを感じながら流体力学的な感覚を覚えるし、ウナギはエラ呼吸で酸素を吸うこと、酸素は川のせせらぎで水に溶解すること、などなど、膨大な情報が五感を通じて飛び込んでくる。その時感じた不思議や疑問を、本や図鑑で「答え合わせ」する感覚。本や図鑑はあと、あと。先に考えちゃダメだと思う。

大切なことは本や図鑑を読むことではない。日常の中で発見する楽しみを知ること。それさえあれば、子どもは勝手に知識を広げ、深めるし、ついでに本も読むようになる。

どうも、本や図鑑を読まない子は、日常での発見を邪魔される割に、本を読め、図鑑を見ろと勧められるために、本や図鑑を嫌いになるのではないか、という気がする。そのため、子どもも知識は本や図鑑にしかないと思い込み、「自分は知識に興味がない」と信じ込み、そこから逃げようとするのかも。

知識は本や図鑑に、マンガやゲームには知識がない、ならば「知識」という、親が求めてやまないもののないマンガやゲームの世界に逃げ込もう、とするのだろう。子どもは本や図鑑を強制され、それを拒否するあまり、知識をも拒否するのではないか。そのため、マンガやゲームに逃避するのでは。

我が家では、マンガもゲームも、時間制限(目が悪くなるという理由で)はあるけれど、悪いものとは捉えていない。そこからも知識が得られると考えているから。実際、ゲームやマンカで発見したことを子どもは嬉々として話そうとする。私はそれに興味深く耳を傾ける。まあ、最近はポケモンの話ばかり。

それでも子どもたちは、ポケモンに関する知識のついでに、いろんなことを発見したり学んだりしてるらしい。本当に「ついで」って感じだけど、好きなことを熱中して取り組んだことって、全然忘れないらしい。子どもたちはポケモンで遊ぶのと同じように、本や図鑑を楽しんでいる。

子どもたちからしたら、ポケモンも図鑑も日常も「新しい発見ができる対象」の一つでしかないのだろう。日常の全てが発見という楽しみを得るものになっていれば、知識は自然に広く深くなっていくもののように思う。

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