他者肯定感

私は「自己肯定感」をタイトルにした記事はすべてスルーしてるから気付かなかったけど、知人によると「自己肯定感バブル」というくらい記事が年末年始にあふれていたらしい。
私は自己肯定感を大事だとは思ってるけど、そこをあんまり意識してもしゃーないやん、と思ってる面がある。

自己肯定感はたいがい、子どもの頃の育てられ方で決まるという話になっているようだ。だとすると、大人になって育ちあがってる人は取り返しがつかず、絶望するしかないという話になる。それって次につながらない。

それに、どうも西洋で語られてる自己肯定感の話を、日本に持ち込むのはムリがあるように思う。一神教の西洋では、自己肯定感さえ持てれば「神は自分を見てくれている」という点で絶対の自信をもつ根拠になるかもしれない。でも、心理的にかなり多神教な日本人は。

仮に愛情深く育てられ、自己肯定感を強く育てられたとしても、他人から否定されただけでもろくも自信は崩れ去る。シカトなんかされたら一発。自己肯定感は他者否定感であっさり崩されやすいのが日本の特徴のような気がする。日本は良くも悪くも、人(他人)の目が気になる文化圏。自己肯定感にそこまでの力がない。

もちろん、家庭内の環境がいまひとつで、不必要に自己肯定感を低められた不幸なケースの場合、自己を肯定し直すのにハードルがその分上がるので、しんどい面はある。けれど、日本の場合、親から愛されなくても他人で受容的な人がいたことで救われるというケースも少なくない。ということは。

日本ではむしろ「他者肯定感」が幅を利かせている文化圏な気がする。絶対唯一神ではなく多神教の日本では、唯一の神と自分との間に了解さえあればよい、という自己肯定感を育みにくい気がする。

課題はどうやって他者肯定感を確保するか、というテクニック。日本では付和雷同(本音は違っていても周囲に合わせる)が他者肯定感の手っ取り早い方法、のようになっている。でもそれでは本音をずっと隠すことになり、自分を見失い、それこそ自分を肯定できなくなる。いつか爆発してしまいかねない。

けれど、他人に合わせる以外にも他者肯定感を獲得する方法はあると思う。それは、驚くこと。
昔、どこかで私の悪口を聞いてきたのか、やたらと私の言葉を悪くとる人が来た。一つ一つ反論することを諦め、まずはその人の話を聞き、その人を知ることに腹を決めた。

「どんな仕事をされてきたんですか?」「へえ、それはどうやってできるんですか?」相手の話を興味深く聞き、自分の知らなかった(全くの他人だから当たり前だけど)相手の一面にいちいち驚き、面白がってると、相手の表情が和らぎ、やがて笑顔が出てきた。そのうち、私の話も聞きたがった。

最後には、誰から私の悪口を聞いたかも白状してくれた。その人とはその後、飲みに行ったりなど仲良くなった。互いに考え方が違うことを尊重しあいながら。
違いを自分の物差しで評価し、高い低いと上げ下ろしするのではなく、違いを違いのまま「違うなあ!」と楽しめばよいように思う。

YouMeさんが赤ちゃんだった息子を連れて初めての公園。「公園デビュー」は母親にとって試練だという記事を読んでいた。その日にうまくママグループに入れなければ、ずっと赤ちゃんと二人ぼっちになる恐怖。YouMeさんは公園デビューをうまく乗り越えられるだろうか?

そんな私の心配をよそに、YouMeさんはあっさり他のママたちと歓談し始めた。あれ?
それが偶然でない証拠に、大阪の初めてでの公園でもすぐに仲良くなっていた。不思議なことに、YouMeさんから話しかけてるわけでないのに、ママさん達から声をかけられてる。なんで?

YouMeさんを観察してると、他の子どもたちの様子を観察してる。そしてそれに驚き、赤ちゃんである息子に実況中継していた。「うわあ、あのお兄ちゃん、足が速いねえ!バビューン!」「あそこのお姉ちゃん、雲梯上手だねえ、ピョンピョンって」

すると、自分の活躍を見てくれてる大人がいることに気がついて、「私、こんなこともできるよ!」「ねえ、見てみて!ほら、こんな高いところからも飛べるよ!」YouMeさんはすごいすごいと驚く。そのうち、「ねえ、その子、おばちゃんの子?」と尋ねてくる子が。「そうなの、一緒に遊んでくれる?」

「いいよ!一緒にあそぼ!」と、息子の手を引いて遊んでくれだした。見ず知らずの子どもの世話をするなんて珍しいと思ったその子のお母さんがYouMeさんに話しかけ、YouMeさんは「うちの子と遊んでくれて、優しい子ですねえ」と驚いてみせたら、それから話が弾んでる、という形のようだった。

そうか、相手の何かしらに驚き、面白がっていれば、何も自分が合わせなくても親しみを持ってくれるし、相手も自分の違いを認めてくれるようになるのか!
相手と自分の違いに驚き、面白がれば、付和雷同しなくても、違いは違いのまま親しくなれるのだと思う。

他者が他者のままであること、特徴に驚き、面白がれば、自分が自分のままであることを他者も認めてくれる。そんな「他者肯定感」は形成可能だと思う。本来、日本は第二次大戦で軍国主義化する前は他者が違うことに緩やかな社会だったのだから、取り戻すのは可能だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?