先取り学習は「学びを遊び、遊びを学ぶ」姿勢の喪失につながりやすい
私が比較的、中学受験に批判的なのは、「先取り学習」ばかりやってる私立が多いと感じているため。中学2年生までに3年間の内容を学ばせようとしたり、高校になってもやはり3年分の学習を2年生を終えるまでに教え込もうとしたり。この先取り学習のために本来身につけたであろう学力ついてないなあ、と。
中学受験そのものでも、まだ6年生にもなっていないのに6年生で習う内容を先取りして学び、他と差をつけようとしたり。こうした「先取り学習」をすると何が起きるかというと、「積み上げ残しをいつまでたっても復習できない」という事態。
私は中学2年生まで公立中学で偏差値50前後をウロウロしていた。だから私より成績よいのなんかいくらでもいた。中学卒業時点でも私はクラスで3〜4番、相当に頑張ったけど上の子らには全然歯が立たなかった。地域の2番手の高校にギリギリ滑り込み、最初に受けた実力テストは見事に学年ど真ん中。
で、高校1年の一学期と夏休みはひたすら小学1年生から中学3年生までの復習を繰り返した。で、夏休みが明けた2回目の実力テストで学年560人中、30番に上がった。小中学校の内容を復習しただけで。同級生で私より上だったはずの250人は小中学校の内容を忘れていき、私は逆に覚えた。それだけ。
私は「予習」というものが全くダメだった。予習復習とよく言われるので、私も授業で習う前に教科書を読んで予習しようとしたが、チンプンカンプン。全く歯が立たない。私は完全な復習型だな、というのが分かったので、高校生になった頃に予習を諦め、復習に特化した。何度も小学校から教科書をやり直した。
するとどうしたわけか、学年で11位、4位と順位を上げた。卒業時の共通1次では、2番だった。私は同級生たちと違って、参考書を読んでもチンプンカンプンだったので、教科書以外に事実上手を出していない(例外は学校が推薦した副読本)。教科書から外れるような学習は何もしていない。
高校を卒業し、2年遅れで京大に入った。まあ、2年遅れというところに私の平凡さがよく表れているけど、やはり利用した教材は教科書と、学校推薦の副読本、あとは受験問題の過去問のみ。つまり、ほぼ教科書のみを繰り返し繰り返し学習しただけにすぎない。他に手を出していない。
高校数学の参考書だとチャート式というのがお勧めだと友人がいうので手を出そうとしたことがあるけど、私には難しすぎて結局諦めた。そんな応用問題に手を出しても身につかず、私のような凡才は基礎をしっかり固めた方が学習効率がよい、ということがよくわかったので、応用問題に手を出したといえば入試の過去問くらい。
そんな、徹底的に基礎固めの人間でも京大に入れた。そんな経歴の人間から見ると、中学受験で先取り学習したり、私立中学や高校で先取り学習してる子どもたちを見ると「なんとムダなことをしているのか」と思う。私より成績の良かった同級生が伸び悩んだ理由は「復習しなさすぎ」だと思われたから。
いや、一番の決定的な違いは「小学校からやり直す」ことをしてるかどうかだと思う。高校の同級生で、小学校中学校の内容を復習してるという人に出会ったことがない。高校生だと、復習すると言っても高校の内容ばかり。小中学校の教科書は卒業時に捨ててしまって復習できないと言っていた。
実は私も、小学校を卒業した時に「もういらんやろ」と教科書を親に捨てられた。けれど、小学校の内容から怪しいと自覚していた私は、弟の教科書や、近所の卒業生から教科書をもらってやり直した。もしこれをやっていなかったら、私は中学の時に成績を上げることはできなかったろう。
中学卒業時には復習するために教科書を全部保存し、高校に入ってから何度となく復習した。高校で同級生をごぼう抜きにできたのは、小中学校の内容を丹念に復習したからに他ならない。奇抜なことは何もしていない。どうやら私は、地域一番の高校に進んだ中学の同級生より結果的に成績が上になったらしい。
もちろん、京大に入ると、「これはさすがに太刀打ちできんわ」というとんでもない学力の同級生がいた。私みたいな愚直な復習型人間ではとても到達できやしない天才型がいた。でも、そんなのは京大でも一握り。小中学校の内容から丹念に復習すれば、旧帝大に入れると思う。
なのに先取り学習ばかり小学校からやらされて、「同じ学年の子がまだ手を出していない問題に取り組む」ことで周りと差をつけ、優位に立ってきたという「成功体験」を積んできた子は、小学校の内容から復習するという発想が欠落するらしい。高校生だと、高校の内容しか復習しない。
このため、小中学校の学習内容を理解していないと理解できない問題を、いつまでたっても理解できないことになる。高校生になり「自分は数学が苦手だ」と言って文系に進むことを選ぶ子の大半は、小中学校の内容のどこかに欠落があるのを放置しているからだと思う。
また、理系であっても、小中学校の内容のどこかで欠落があるために成績が伸び悩んでいるケースが多いように思う。小学校からやり直した方がよいとアドバイスしても、「高校でも優等生の部類の自分に小学校からやり直せとは!」と、プライドが邪魔して復習しない子が多い。
まあでも、成績が伸び悩む理由の大半は、小中学校の内容をおろそかにしていることが原因だと思う。しかし中学受験をしようという小学生は、私立中学・高校に入学してしまうと「先取り学習」ばかりさせられ、小学校からやり直すという習慣を失う。これがとても痛いと思う。
ただ、まれに復習型の私立というのはあるらしい。共同研究してる企業の女性研究員は、私立の中高一貫校に通っていたらしいのだけど、そこは先取り学習をせずに、みっちり復習させて着実に学力をつけるという方針だったらしい。その研究員は京大卒だった。
私は、才能という点では実に平凡だと思う。いや、平均以下だと思う。記憶力も弱い、理解力も弱い、察しも悪いから予習は壊滅的。復習しかできない不器用者。でもそれでも京大に入れて、私よりも優れた才能を持っていた同級生や子どもたちを見ていると、違いはどこにあったかというと。
小中学校の内容をおろそかにせず、何度も復習した、その一点だと思う。なぜか小中学校の内容を復習する同級生は壊滅的に少なかった。というか、出会ったことがない。
では、京大生は私のように徹底して小中学校の内容を復習していたか、というと、実はそうでもない。でも小中学校の内容完璧マスター。
たとえば、中学校の国語で、助動詞とか助詞とか習うけど、京大生だと「だろ、は断定の助動詞の未然形」って答えられる人が結構いた。京大生は私と違って小さな頃から優等生だったのがほとんどなのだけど、どうやら彼らは面白がって教科書の隅から隅まで読み込み、さらにそこから興味を広げて関係のないようなところまで調べ、学んでしまうために、「楽しんで学んでるうちに、教科書の内容なんかついでに覚えてしまった」パターンが多いらしかった。私が四苦八苦して復習していたのとは違い、彼らは新しい知識に出会うと面白くなって自分で調べ尽くして楽しんでいた。
学びを遊んでいて、遊びだから丹念に調べてる。興味津々だからしゃぶり尽くす感じで調べ尽くす。あれこれ仮説を立てては検証する。習ったことをマジメに覚えようなんて姿勢だと、習ったことしか覚えようとしないけど、余計なことまでしゃぶり尽くして学んでしまおうと遊んでいたので、完全マスターしてるらしい。
だから、他の京大生で私のようなタイプに出会ったことはない。ただ、彼らと私の共通点があるとすれば、それはやはり「小中学校の内容を完全にマスターしてる」という点だろう。完璧にマスターしてるから、私立中学高校でも余裕で遊びながら学んでいたらしい。
でも、親に促される(やらされる)形で学び始めた子は、そうはいかない。成績がよくても、学びを遊ぶほどのゆとりをもって取り組んでいるわけではないので、丹念さが生まれない。遊んでいるときに生まれる、しゃぶり尽くすような丹念な学習スタイルにはなりにくいらしい。
そういう子は、私立中学高校に入っても先取り学習を遊ぶほどのゆとりはない。それでいて、先取り学習しかしたことがないから、私のように徹底して復習するというスタイルにもなりにくい。結果的に「中途半端」になりやすいらしい。
私は、あえて旧帝大に入学できる学力を身につけることを目標とするなら(私自身はそんなこと目指す必要は無いと考えている)、京大の同級生が幼い頃からやっていたように、学びを完全に遊んでしまうか、私のように徹底して小中学校からやり直すか、どちらかのスタイルをとる必要があるように思う。
しかし、京大の同級生は口をそろえて「親から勉強しろと言われたことがない」という(例外に会ったの1人だけ)。新しい知識を得るのが楽しくて遊んで(学んで)いたら、いつの間にか大学に入っていた、という。親がシャカリキになってると、子どもは学びを遊べなくなるのかもしれない。
中学受験に親が熱心だと、子どもが学びを遊ぶ確率はかなり下がっていくように思う。どうしてもやらされ感がどこかで強くなり、学びがつまらなくなり、やる気を失う場面が出てきやすい。そうなると学びは遊びでなくなり、しゃぶり尽くすような学びは不可能になる。
さりとて、私のような復習型スタイルもとりにくい。先取り型学習の歴史は、進学塾が増え始めた何十年も前から続いており、もはや復習の大切さを知らない世代が教える側になっていたりする。復習を大切にしてる塾も出始めてるけど、まだ少数派らしい。
念のために言っておくと、大学受験では「教科書で出てくる知識だけで解ける問題しか出さない」。そのことを知らない人が案外多い。教科書では習わない高等テクニックを知らないと難関大学に入れないと思ってる親御さん、学生は多い。でも、本当に教科書(と副読本)の知識だけで十分。
現役の慶応大学教授で、受験問題の作成にも関わってるという人に「教科書の知識では解けない問題を入試試験で出しますか」と念のために聞いてみたが「あり得ない、教科書の知識で解ける問題以外出しちゃダメ」という返事だった。
というわけで、複雑で難解な問題ばかり解いて、復習がおろそかになるより、まず復習して小中学校の内容を完璧にマスターすることをお勧めする。複雑で難解な問題を解く「遊び」をしてよいのは、学びを遊びまくって、小中学校で習う内容が完璧にマスターできてる人間だけだと思う。
さて、ここまで「旧帝大に合格する学力を身につけるには」という前提で書いてきたけど、旧帝大に入る必要はないと思う。次の姿勢さえあれば十分。
学びを楽しんでしまうこと。遊んでしまうこと。「へえ!これってこうだったんだ!」と興味が湧いたらその周辺を調べまくる。「なるほど、なるほどなあ」
そうやって、学びを遊んでしまえる人、楽しんでしまえる人は、すでに旧帝大生と同じ実力を発揮する条件を備えていると言える。私は、学歴こそないかもしれないけど、学びを遊んでる人たちをたくさん知っている。こうした人たちは実に尊敬に値する。
私の家の正面の農家さんは「わし、まだ稲を五十回しか栽培したことないねん。毎年違う。同じ年なんて一度もない。毎年試行錯誤、勉強の繰り返しや」と言って、50年以上続けてきた農業日誌を見せてもらった時は舌を巻いた。その人は学歴はないけど、学習意欲のカタマリだった。非常に優れた方だった。
西粟倉村で出会った熱田さんという方は、野遊びを徹底追究していた。自然に関する知識がものすごい。しかも現状で満足せず、常に学んでる。しかもその学びを遊んでる。もう最強。一晩でウナギ30匹、アユ40匹以上取ってこれる現代人が生きてるとは思わなかった。この人にも舌巻きまくり。
私が自分の子どもたちに身に着けてほしい姿勢、それは「学びを遊ぶこと、遊びを学ぶこと」。私の息子が3歳くらいの頃、「学」という漢字を見て「あそぶ」と読んだ。なぜ?と聞くと「まなぶことはたのしいから」と、ユラユラ踊りながらその場を立ち去ったのを覚えている。
そう、学ぶことは楽しい。学ぶことは最高に楽しい遊びの一つ。実際、幼児の間はほとんどの子が遊びの中で学び、学びも遊んでしまう。学びは本来、知らなかったことを知り、できなかったことができる、最高に楽しい遊びの一つ。その姿勢を死ぬまで持ち続けることが大切だと思う。
私は小学生の間に勉強がイヤになり、学びを楽しめなくなった子どもだった。四苦八苦して努力し、学んだけど、今にして思えば「もっと学びを遊べばよかったのに」と思う。この年になって、学びを遊ぶ心を取り戻した感じ。
学びを遊び、遊びを学ぶ者は、死ぬまで学ぶ。その姿勢さえあるなら、学歴は関係ない。学びを楽しんでしまう力さえあればそれでよい。旧帝大の同級生から学んだのは、そのことだと思う。みんな、学びを遊んじゃえ!楽しんじゃえ!