コメ高騰を批判する記事のバランス欠如
コメの高騰を問題視する記事が多いけど、記事書いてる人たち、ちょいとバランスを欠いてるように思う。
確かにコメが安くなれば消費者は助かる。そうでなくても野菜などをはじめ、多くの食材が高騰。そこにさらにコメまで高くなったら消費者はたまらない。
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fe89b6c4052282fb5139858d9527e4eff4bf65585&preview=auto
しかし、コメが安くなったらたまらないのは、農家。そこを忘れてもらっては困る。
ほんの去年の今ごろまで、「このままでは日本の稲作は崩壊するかも」と心配されていたことをご存じだろうか。コメの価格が安すぎて、農家は作れば作るほど赤字になる状態だった。大規模農家でさえ経営厳しく。
そうでなくても肥料は高騰し、トラクターやコンバインを動かす燃料も高くなっていた。コメ農家の経営が成り立たず、全国的に崩壊の瀬戸際に立たされていた。それが今回の値上がりで、ようやくコメ農家は息をつげるようになったところ。もし昨年秋にコメ価格が安くなっていたら、ヤバかった。
もちろん、コメ農家が息をつげたとはいえ、さほど儲かっているわけではない。今のコメ価格の高騰ぶりからすると、農家が手にした値上がり幅はごくわずか。極端に値上がりしてるなあ、と私も思う。
ただ、コメ農家崩壊リスクのある「安価なコメ」と、消費者の生活が苦しい「高価なコメ」、どちらを選ぶか?という究極の二択となると、どちらを選ぶか微妙。多くのコメ農家が廃業したらコメ生産崩壊、食料安全保障の危機に陥りかねない。その瀬戸際だったことを考えると、微妙に前者に軍配上がるかも。
なお、コメ高騰の責任を農林水産省や農協、取扱業者に求める向きがあるけど、それも私は少々バランスに欠けているように思う。これは十分に証拠があるわけではないが、流通業者が指摘する一つの仮説として、万博がある。万博に来る人たちにコメがないというわけにいかないので、関係業者が
安全余裕の分も含めてコメ確保に動いていることが需給逼迫の要因になっているのでは?という仮説。これはあり得る話だと思う。かといって、この動きを攻撃しても仕方ない。もう開催するのは決まってるわけだから、そうした行動になるのは致し方ない面があるように思う。
それに、コメが高騰してる原因は、誰かが買い占めてるのが原因というより、単に「みんながコメを多めに食べるようになった」ことが原因かもしれない。実際、いま数字がどこかにいって見つからないが、昨年のコメ消費は伸びている。
また、傍証として、昨年のふりかけの売り上げは過去最高だという。これは恐らく、コメの消費が伸びていることを示しているのだろう。これは推測だが、昨今の食品の値上がりを受けて、節約のためにお弁当を持って行く人が増えているのではないか。だとすると、コメの消費は増える。
実際、日本農業新聞の記事によると(記事見つからないが)、小麦の消費がやや落ち、コメの消費が昨年は伸びている。もしかしたら今のコメ不足は、『家計が苦しくなった消費者のコメ回帰」が要因の一つである可能性がある。だとしたらこれは構造的な問題だ。
私としては、「コメ農家が経営的にやっていける水準までコメ価格が値上がりするのはやむを得ない、しかし消費者の生活があまりに苦しくなるほどまでに高騰するのは避けたい」という、当たり前と言えば当たり前な意見となる。ところが、コメのような基礎食料は、適切な価格に落ち着くことが困難。
水の値段にたとえるとわかりやすい。水は少しでも足りないと命に関わるから、余分に確保しようとする。しかし余分に確保するということは、在庫がダブついているということ。すると市場経済では、タダみたいな価格にまで暴落する。しかし、少しでも足りないとなると。
命に関わるから、金銀財宝を山と積んでもコップ一杯の水が欲しくなる。このように、「命に関わる商品」は、市場経済に乗せるとタダみたいな値段か、とても手が出ないほど高騰するか、極端な価格形成をする。
これはコメのような、足りないと餓死者が出かねない基礎食料も同じ。
コメのようにカロリーを稼げる基礎食料は、私たちの命を支えてる基礎食料は、足りなければびっくりするほど高くなり、少しでも余れば価格が暴落する。「命に関わる商品」は、市場経済に乗せると極端に高いか極端に安いかの両極端になりやすい宿命を背負う。
欧米ではこの問題を解決するためにどうしてるかというと、「農家所得保障」で対応している。
小麦やトウモロコシは、どれだけ価格が暴落しても構わないからともかく自国(自領域)で必要となる量より余分に作る。余った分は捨て値でいいから海外に輸出してしまう。
そんなに安値では農家は生活できない。というか、経費のほうが売り上げを超えてしまうことがしばしば。そこで政府は所得保障として、農家に補助金を出している。一定の収入になるように。だから農家は、余分に作りすぎて小麦やトウモロコシの価格が崩落しようが気にせず、余分に生産する。
つまり、欧米では、非農業が稼いだお金(税金)を農家に渡すことで、小麦などの基礎食料を多めに作ることを可能にしている。
ならば、日本もそうすればいいじゃないか、と考えたくなる。ところがそうは問屋がおろさない。日本は「山がちで狭い」からだ。
日本の農地の四割は、山がちな場所(中山間地)にある。このため、いくつかの田んぼをまとめて一枚の田んぼにするということができない。大規模化が困難。
では平らな土地だけでコメを育てたらいいじゃないかと思いたいけど、日本の農地の四割を捨てて果たしてコメを十分生産できるのか?
で、仕方ないから中山間地でもコメを生産するとなると、一枚の田んぼが狭く、手間がかかるから農家の数を減らせない。農家の数が多いと、所得保障にかかるお金が巨額にのぼる。これでは大変だから所得保障をするのは躊躇する。こうして、欧米みたいに所得保障するのはちと難しい面がある。
果たして平らな土地だけでコメを十分量確保できるのか?平らに見える土地でも日本はそこそこ傾斜があるから、欧米ほどには大規模化は難しい。大規模化できる場所は限られる。となると、農家の数はそんなに減らせず、減らないから所得保障も難しいということになりかねない。
となると、日本の場合、所得保障するよりは価格を少し高めに推移させて、農家の人の経営を支えるしかない、ということになるかもしれない。少なくとも現状では、そうでないと日本のコメ生産が崩壊し、食料安全保障の危機になりかねない。なかなかに調整が難しい局面のように思う。
批判するのは簡単だが、「じゃあお前やったらどうすんねん」という当事者意識を、記事を書く人は持ってほしい。日本のコメ価格の問題、そう簡単な話ではないことが、当事者意識を持ったらすぐにわかることのように思う。