凄まじき子どものオモチャ輸送能力
子どもの輸送能力、オモチャ拡散能力は目をみはるものがあり、床が見えたらそこに瞬く間にオモチャを拡散させる。たとえ完璧に片づけても三十分も立たずに再現するその高い輸送能力は舌を巻く。鬼が崩しにくるのに石を積め、と言われる賽の河原のよう。
家事を完璧に?子育て中に?何をご冗談を。
子どもの面倒を見たことのない男性は、子どもが小さい時は目が離せない、ということを知らない。好奇心旺盛で動く能力を獲得したら、網戸につかまり立ちしようとする(網戸倒れる)、段差から落ちそうになる、物が倒れそうになる、変なもの口にしてる。まさに目が離せない。気が休まらない。
それと比べると仕事は楽。命じられたことであっても自分のペースでできる。自分のペースでしかしようがない。会社は休憩時間もある。この休憩時間が確実にある、というのは本当にありがたい。
でも子育ては休憩さえ完全に奪われる。
オモチャで遊んでるこのスキに、とトイレに行って戻ったら。床一面ティッシュペーパー。あるいは床一面に服が引きずり出され。一瞬で状況が激変。まだそうしたイタズラはかわいい方。危険のないようにするのがもう大変。動けるようになった赤ん坊、ほんと目が離せない。
オモチャで遊んでる、よし、新聞でも読もう。
突然、新聞紙の向こうから「なによんでるのー!」新聞紙に体当たり。グチャグチャ。
よし、絵本を集中して読んでる。今のうちにパソコン仕事を。「おてつだいするー!」キーボードを両手でバン!
仕方なしに子どもと遊ぶしかない。
子どもは「視線を食べる」生き物であるらしい。自分に視線を向けられてる間は一人遊びもしてるのだけど、親の視線が自分に向いてないと気がつくと、視線を奪い返しに来る。「ねえ、見て見てー!」「おとーさーん(おかーさーん)、こっちきてー!」もうひっきりなし。
子どもが寝落ちしたわずかな時間で家事を済ませようとすると、本当に休み時間がない。子どもの相手もして、家事もこなして、それらを完璧に、なんて、「鬼か!」と言いたくなって当然だと思う。
子育て中に大切なこと、それは「力の抜きどころ」を探すこと。仕事とか勉強は自分のペースでできるが、子育てでは子どものペースに合わせるしかない。家事は子どもの相手のスキを突いてでしかできない。だから家事は二の次、が妥当だと思う。
また、子どものペースにあわせるのも、あまり頑張り過ぎないように。どうやって手を抜くか、気を抜くかを工夫しないと続かない。力の抜きどころを探すという、これまで勉強とか仕事で求められてきたものとは正反対の努力が必要になる。
これは、夫婦での合意がないとうまく行かない。「ずっと家にいるんだからできるだろ」と片方が言うようでは、力の抜きようがなくなり、心が疲れきってしまう。休憩時間がないという子育ての特質をパートナーが理解しないと、うっかりしたら離婚の原因になりかねない。