同質性を求めることの危険性
東京に住みたくない理由の一つ。公立で何が悪いねん?と私は思っている。京大にもおかしな人はいたし、東大にも変な人はいて、どんなところにも妙な人はいるものだと考えている。だから、私立中学とかにもきっと奇妙な先生はいるものと考えている。 https://dot.asahi.com/articles/-/211028?page=1&fbclid=IwAR2Dlw2AtYb-aPLirG8YD46nlN1VEgXHweZ2baUto3fIROY2-ygU6606cNo
学校に行く理由の一つは、「いろんな人との向き合い方」を学ぶことだと考えている。学力は何なら自分で本を読めば結構つけることができる。けれど人との交わり方はそこに身を置かねば学べない。変な人ともそれなりに付き合う術を知ることは、人生においてとても大切なこと。
それに、自分自身が変な人である可能性も高い。私は小学校で二人いる変人奇人の一人にカウントされていた悲しさがあるので、まさにその類。そんな私が曲がりなりにも人との向き合い方を学べたのは、いろんな職種や経歴を持つ親御さんの子どもたちともみあったからだと考えている。
「随想録(エセー)」を書いたモンテーニュは、父親の考えで、いったん庶民の家庭に預けられ、そこの子どもとして育てられたという。いろんな立場の人のことを理解することが大切だと考えてのことらしい。このことはその著作「エセー」の内容に色濃く反映することになる。
当時の西欧人は、キリスト教国であるヨーロッパこそいちばんで、他の地域の人間は野蛮人だと考え、その文化も人も蔑んでいた。しかしモンテーニュは違った。非キリスト教国にはそこなりの文化と伝統があることに気づき、むしろ野蛮なのはどちらのほうか?と視座をひっくり返すことが可能だった。
こうしたモンテーニュの捉え方は、後に文化人類学を創始することになるレヴィ・ストロースにも影響を与えることになる。他の民族を野蛮人として見下ろすことが多かった西欧人の多くとは違い、そこにはそこなりの尊敬すべき文化伝統があると考え、そこに身を投じた。現在の多様性に通じる考え方。
なのにここ20年くらいの東京での子育てにおいての多様性に対する不寛容さは何だろう?多様性の拒絶は、多様性の一つである自分をも拒絶することにつながりかねないのに。多様な人との向き合い方を学ぼうとせずに、同質の人間だけで集まろうとするその狭量さは、将来自分に跳ね返ってくる恐れがある。
孟母三遷という言葉を引く人がいる。子どもの孟子を育てる際、その母親は遊び方を見て「この土地では子どもの教育によくない」と考え、住まいを三度にわたって変え、儀礼を真似て遊ぶ様子を見てようやく安心したという話。実は私、この話をあまり評価していない。
私は愛知県で働いていた頃、市民講師として私立中学に講義に行ったことが何度かある。その先生が自慢げに語るには、保護者の多くが医者か弁護士か経営者など、資産家で教育のある人たちなのだと。私はそれを聞いて「うわー、世間狭!」と心の中で叫んだ。もしそんな子らが将来、支配層に位置したら。
庶民の生活なんて全く想像がつかないろくでもない支配者になることだろう、と思った。庶民の生活に想像の及ばない支配者は、いつしか国民を蔑むようになり、自分たち富裕層だけに有利な国造りをし、格差を拡大し、国民の中に憎悪と怨嗟の声が高まっていくだろう。
そうした国は、クーデターが起きる可能性を高める。多様性が失われ、上澄みと沈殿に分かれたとき、それを混合せずにいられない噴火のパワーを蓄積することになる。なんて愚かなことだろう、と思う。結果的に「貴族」自身が身を滅ぼす原因を育てているようなものなのだから。
もしそんなことになったとき、自分と似通った階層の人間としか向き合えない人間は、淘汰されることになりかねない。自分たちが蔑んだ人たちから蔑まれることになりかねない。そのことの怖さに、なぜ気がつかないのだろうか?
「情けは人の為ならず」という言葉がある。これはバブルの頃、「情けをかけるとその人を甘やかすことになり、結果的によくないから情けはかけないほうがよい」と誤って解釈された時代がある(あの時代らしい解釈・・・)が、本来はその逆の意味。
人に優しくするから、回り回って自分にも優しさが戻って来る。あえて利己的に考えたとしても、人に優しくすることは利にかない、理にかなう、という意味。
人間にはどうしたわけか、人が喜んでくれると自分も嬉しくなるという本能がある。その本能を考えれば、人に優しくすることは楽しいこと。
阪神大震災が起きて被災地に向かうとき、自分が偽善者のように感じてムカついた。困っている人をかわいそうと思い、それを助けに行こうなんていいヤツだ、というフリをしようとしているいけ好かない偽善者!という自分を感じて、嫌になった。しかし東灘区に入ったとき。
右を見ると、巨大な白い壁が道を断ち切るようにそびえていた。なんと奇妙な壁かと思い、近づいて壁をペタペタ触って左を見ると、それは根元でポキリと折れて倒れたビルだった。
「え?ビルに人はいなかったの?根元にあった家も、道向かいの家も潰されてる!そこに人は住んでいなかったの?」
私はパニックに陥った。
それから駆け足で神戸中を走り回った。西宮北口に戻り、電車に乗ると気絶した。大阪に着き、降りようとすると足が全く動かなくて驚いた。
その後、私は毎週末ボランティアに通った。卒論研究を金曜日までやって、その夜に神戸に行くことの繰り返し。
しばらく経ったころ、あるボランティアがこんなことを言った。「おれ、今死にたい。今死んだら、むちゃくちゃ自分を肯定できる」と。彼も神戸に向かう道中、自分は偽善者だと自己嫌悪に陥っていたという。しかし被災地の惨状を見て「どうすればいい?」以外の雑念が飛んだ。それから2週間経ち。
無意識のうちに、必死に人のために動いていた自分に気がついたという。他人にどう思われるとか気に入られるようにとか、そうした中途半端な雑念が全部吹き飛んで、ともかくできることはないかと必死になってる自分を発見して、驚いたという。そして、自分をこの上なく肯定できたという。
「でも都会に戻り、元の生活に戻ったら、きっと自分のことしか考えない自分に戻ってしまう。ならば自分を肯定できる今、死ねたらカッコいい。そんな気持ち」と言っていた。私も同感だった。
阪神大震災で私が内々に心に誓ったこと。「好きに生きていこう」と。他人にどう思われるか気にせず、自分がこうしたいと思ったらその通りに進もう、と。
こう書けば極めて身勝手に振る舞うように思われるかもしれない。しかし私はそうは思わなかった。自分の中には、人のために動きたい本能がある。
しかし変に見られたくないとか損をしたくないという中途半端な利己心を重視するから、その本能にフタをしてしまう。今、自分が「こうしたほうがみんなにとってもハッピーなのでは?」と思われたことがあるなら、変に見られようとなんだろうと、そうしよう、と思うようになった。
ツイッターをしてるのもそうしたものの一つ。こうしたほうがいいんじゃないか、と自分が感じたなら、遠慮しない。専門家でもないクセにとか黙ってろと言われても、「いや、これは黙ってたほうがまずい気がする」と思ったら遠慮しない。そう考えている。
正直、こんなに意見発信することは職場的には有利ではない。いや、無茶苦茶不利になる。私が一向に出世しないのは、何言うかしれやしないからだと思う。私ももし上司だったら、出世させない。組織の公式見解だと誤解されたらエライことだから。
しかし私なんかが出世しなくても組織は動く。それよりも、誰もが恐くて発言できないことを発言するほうが、世の中を少しでもマシにする力になれるかもしれない。「王様は裸だ!」と言える子どもでいたいと思う。「何言ってんだ王様に向かってナマイキな!」と叱られるかもしれないけど。
でも面白いもので、職場ではいい意味で放置してくれている。ツイッターでの発言に関してとやかく言われることはない。何かよくない意図で発言してるわけではない、と黙認してくれているらしい。実は私のツイートはかなり職場で読まれてるらしいのだけども。
そういう意味では、面白い時代になったとは思う。私みたいな破天荒な人間も生温い(笑)目でおおらかに受け入れてくれる組織が日本にあるということだと思う。私みたいな変人を許容する社会であることは、喜ばしいことだと「私は」感じている。
私立に進むのも構わないが、自分の利益だけ考える小さな利己心を重視し、他者と喜びを分かち合う大きな利己心を潰さないようにして頂きたい。違う人がいることを面白がり、驚きあい、高め合い、助け合う、そんな気持ちを失わないようにお願いしたい。