賞状に関する思い出

昨日、土壌肥料学会で技術賞を受けた。演台の上で表彰されたの、高校の卒業式以来。「以下同文」じゃなしに全部読み上げてもらったのは生まれて初めて。私は賞というものにご縁がなかったのがここからもうかがえる。
さて、表彰状、どうするかね、と思ったとき、ふとよぎった思い出が。

弟が何かの賞をもらって、親がその表彰状を額縁に入れて飾った。私はそれを見て、いいな、そろばん(4級だけど)か剣道(たぶんそのとき2級だけど)の証書を額縁に入れて飾ってほしいと頼んだ。すると母の顔が曇って「え?額縁高いし飾る場所もないし」とためらう様子を見せたので「もうええわ」。

で、その後、下の弟も何か表彰されて額縁で飾ることになったけど、私はその後も表彰されることはなく、あるのは弟より級なり段なりが低いそろばんか剣道の証書しかないしで、部屋に飾る額縁は私の分はないままだった。

京都大学を卒業したとき、卒業証書を額縁に入れて飾ろうと親が言ったとき、私は昔のことを思い出し「ええわ」と断った。ともかく出してこいと言われたけど「どこかに放り込んだ。どこにあるかわからん。探すの面倒くさい」と言って、結局飾らずじまい。

博士号の証書も、親が飾ろうと言ったけど「段ボール箱のどこかに放り込んだ、出すの面倒くさい」と言って断った。今の職場に転職する際、博士号を持ってる証明としてコピーを提出しろと言われたとき「え?証書って使うことあるん?」と、段ボール箱ひっくり返してようやく見つけた。もとに戻したけど。

で、私にはそろばんと剣道、卒業などの証書はあるけど、表彰状はこれまで一つもなかった。今回、生まれて初めて表彰されたのは嬉しいし、何よりありがたい。いろんな人の支えでこれを受けられたのだと思う。で、今回の表彰状は飾った方がきっといいと思うのだけど、なんか心がジクジクする。

我が家では、壁一面に子どもたちの賞状やそろばんの証書を貼っている。実は途中、こんなことがあった。息子がそろばんに行き渋りするようになった。きっかけがよくわからない。「やめようかな」なんて言う。まあ、本人がやる気ないのに無理に通わせる必要もないと思っていたのだけど。

ふと、息子のそろばんの証書を、仕事の忙しいのを言い訳にして壁に貼らずにいたのを思い出し、たまっていた証書を壁に貼った。すると息子はイキイキとそろばん塾に通うようになり、やめたいなどと言わなくなった。私は「あー!悪いことしたなあ」と反省した。

頑張って取ってきたそろばんの証書を、親が放置して、壁にも貼らずにいることで、「親は見てくれていない」と息子は感じていたのかもしれない。それでそろばんをやる気も失ってしまったらしい。でも、壁に証書が貼られているのを見て、また親が「よう頑張ってるなあ」と感心してるのを見て

またやる気が湧いてきて、そろばん塾に通うのが楽しくなったらしい。
親ってこわいな、と思う。50歳を過ぎても子どもの頃のことを忘れず、今も思い出すと心がジクジクする。表彰状を額縁に入れて飾ると思うと、心が固くなる。他の人や子どもたちのは気持ちよく飾りたいのに、自分のはなんかイヤ。

息子が一時やる気を失ったのも、親が自分の努力を見てない、反応してない、と、証書を放置してる様子から感じ取っていたのだろう。まだしも間に合って本当によかった。
実はつい最近まで、表彰されたいと思っていなかった。それは恐らく、額縁に飾ってもらえなかったという思い出が毎度襲うから。

でも最近になって「いや、あんまり頑ななのもよくないかな」と思い直したのは、結婚し伴侶を得て、子どもも2人恵まれたことが大きいだろう。家族の支えがあって今の私がある。応援してくれる家族に何か表彰したい、という気持ちが湧いてきて、「全く無冠というのも申し訳ないかも」と思うように。

今回、表彰されたことで、家族に報いることができたという思いがある。しかし表彰状を飾る・・・うーん、まだ引っかかるね。全然その気が起きない。困ったね。
まあ、子どもたちの賞状で壁が埋め尽くされていくのを見るほうが楽しいってのが大きいし。別に親のはいいや、って気持ちが強い。

表彰状は大変ありがたいので、神棚にでも大切に上げておこうか。子どもたちに親の業績を見せる必要を全然感じていない。というか、子どもたちと張り合おうとしてる感じで、どうも好きになれない。これまで一緒に歩んでくれたYouMeさんに見せて、あとは大切にしまっておくこととしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?