「親が育てたのではない」に近似するために
子育ての要諦は
・自分たち親が育てたとは考えない。
・子どもが勝手に育つ。
・皆さんが育ててくれる。
・子どもが勝手に育つこと、みなさんが育ててくれることの奇跡に驚き、感謝する。
ではないか、と述べた。ただ、この心構えに至るのが案外難しい。
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人間って、意識するなと言われても意識してしまうというクセがある。親が育ててると思うなと言われても、その思いは行き場を失ってやっぱり子どもに戻ってきて、「ああしたらいいのに、こうすべきなのに」とイライラし、つい教えたくなってしまう。干渉したくなる。思い通りに制御したくなる。
ガルウェイ「新インナーゲーム」に面白い話が載っている。テニスでバックハンドが上手くなった生徒をほめたら、次の瞬間からホームラン続出。「違うよ、今はこう振ってたけど、さっきはこう振ってたよ」と指導したら、ますます動きがぎこちなくなり、生徒は頭真っ白。
ガルウェイ氏はある日、指導の方法をガラリと変えてみた。「ポールの縫い目をよく見て。スローモーション見るように」。それだけ伝えたら、しばらくすると再びバックハンドが上手く打てるように。
これは、意識を身体の動きから完全に外すことに成功したからだろう。
体の動きAを体の動きBに変えろと言われても、所詮は同じ体の動き。しかも意識は身体の操縦がヘタクソ。だからぎこちなくなり、打てなくなったのだろう。
しかしボールの縫い目に集中させたことで、意識は体の動きどころではなくなり、身体の操縦権は無意識に移ったのだろう。
これと似た話が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療法にもある。過去のつらい思い出を忘れようと思っても思い出してしまい、パニックになる。過去の腹立たしい思いを考えないようにしても思い出し、怒りで身が震える。意識するなと言っても意識してしまう。
PTSDの患者に左右に動きながら光る点を目で追い続けるようにしてもらう治療法がある。目で必死に追いかけながら過去の嫌な思い出について話すと、意識が嫌な思い出を見つめる余裕を失い、パニックになりにくくなるらしい。これを繰り返すうち思考に脱線が始まり、いろんな見方を受け入れられるように。
ガルウェイ氏の話やPTSDの話は、意識(視点)をそらすことで、思考や身体の柔軟性を取り戻すという方法だ。ならば、これを子育てに応用するにはどうしたらよいだろう?親が育てると思うなと言われたって教えたくなる、コントロールしたくなる意識をどうそらせばよいだろうか?
「ああすればよいのに、こうすべきなのに」と、正解を求める思考の枠(思枠)から、「この子はどんな失敗をするのかな?」と、失敗を繰り返す様子を楽しむ思枠にシフトするのがよいかな、と思う。
正解を追い求める思枠だと、どうしても口出ししたくなる。けれど失敗を楽しむ思枠だと。
「へえ、この子はこんな失敗をするのか。だとしたらこんな風に物事が見えてるのかな?」と、失敗の様子からその子の心の内を推測することを楽しむ気持ちも自然と現れる。子どもを観察する気持ちが湧いてくる。そして子どもが違うアプローチをとった時。
「お!それでもうまくいかないだろうが、違うモードに切り替えたな!何でそう思いついたんだろう?」と不思議に思い、驚く。すると子どもはそうした親の反応に敏感に気づく。新たな工夫、挑戦をすれば親もそれに反応して面白がることがわかり、新たな工夫を挑戦し続けるようになる。
工夫するには眼の前の事物をよく観察する必要がある。観察すれば気づきが得られる。気づきをもとに新たな工夫が生まれる。こうした試行錯誤を繰り返すうちに、子供は突破口を見出す。すると親は驚かされることになる。「教えもしないのに自分で解決しおったわ!」
自分で工夫を繰り返し、試行錯誤するうちに解決すると、親がいたく驚くことに気づくと、子どもはますます工夫するようになる。工夫がさらに観察力を磨き、気づきを増やし、新たな挑戦を促す。
子どもの失敗する様子を観察し、その様子を楽しむ(注・バカにするのではなく)ようにすると、子どもは自発的に工夫し、挑戦し、発見を続けるようになる。自力で物事を解決し、打開する力を育んでいく。「親が育てるのではない、子どもが勝手に育つのだ」を擬似的に近似することができるように思う。
どうしてもイランことばかりする意識を宙ぶらりんのままにせず、何らかの役割を与える。そうすることで、子どもを教えよう、コントロールしようという余計な意識の動きを消す。そのためには。
子どもが失敗する様子を観察することを楽しみ、工夫や挑戦、発見といった能動性を示したときに驚く。そのことを心掛ける仕事を意識に負わせると、意識は余計なことをすることがなくなるように感じている。「親が育てるのではない」を擬似的に近似できると考えている。
あくまで子どもが勝手に育つのであり、親以外の皆さんが育ててくださるのだと考える「思枠」にシフトするために、意識に仕事を与える。「子どもがどんな失敗を繰り返すのか観察を楽しもう、どんな工夫をするのか楽しみにしていよう」という仕事を。
すると、子供に余計なことをせずに済む確率が上がると考えている。余計なことをしなければ、子どもは持ち前の能動性を発揮して工夫を繰り返すようになり、力を発揮し、勝手に育つようになるのだと思う。足りないものは他の皆さんから教えて頂きながら。
私が「驚く」を推奨するのは、余計な干渉をやめようと思ってもやめられない凡人の私達の意識に役割を与え、余計なことをせずに済ませる工夫に過ぎない、とも言える。ただ、「驚く」は人間にとってかなりのごちそうのようなので、プラスαの効果があるのは否めない。
でも、肝要なのは「親が育てたのではない」という思枠へのシフト。ただ、意識は起きてる間は何かしらしてなきゃ気が済まない、「〜しない」が基本ムリなシロモノ。なので、何かしら業務を与える。それが「失敗を楽しむ」、「驚く」。すると、「親が育てたわけじゃない」を擬似可能。
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