食品ロスは本当にムダなのか?
日本の食品ロスは522万トンあるという。一人当たり年間42kg、毎日ご飯一杯分に相当する食べ物がムダになっているという。そうでなくても食料自給率の低い日本、食品を無駄なく食べれば、世界の飢餓を減らすにも貢献するのでは?というわけで、食品ロスをゼロにしようという運動もあったりする。ただ。
食品ロスをゼロにすることは危険だということを指摘する話を見たことがない。
たとえば原発で、むやみに丈夫にするのはムダだから原子炉の壁もできるだけ薄くしようとしたら、危険なことはすぐにわかるだろう。工業では「安全余裕」という考え方がある。もし想定以上のことがあっても耐えられる余裕。
食料というのは、少しでも足りないとなると飢えてしまう。飢えれば働くどころの騒ぎではない。人を飢えさせないようにすることは非常に大切。だとすると、少しくらい事故が起きても融通できる余裕を確保しておく必要がある。その余裕は、何も起きなければムダになる。しかし大切な安全余裕。
それでも、豊かな国がである日本の食品ロスは突出して多いのでは?と思われるかもしれない。食品廃棄物(野菜の芯など、食べれない部分含む)を調べてみると、日本は一人当たり133.6kg,フランス148.7-200.5kg、ドイツ136kg,イギリス187kg、アメリカ177.5kg。日本は多いどころか、むしろ少ない。
あまりに食品ロスが多すぎるようであれば、減らす必要があるだろう。しかしいざというとき、食料が足りないとなれば飢えてしまうから、ある程度の余裕を持たせておく必要がある。その分はどうしても食品ロスになってしまうだろう。しかしそれはいざというときの「保険」。掛け捨ての保険みたいなもの。
だから、食品ロスをゼロにすることを目指すのは危険。保険に入らずに自動車を乗り回すようなもの。食品ロスは、人々を飢えさせないための必要悪の可能性があることは、忘れないでほしい。
もし食品ロスが発生したとしても、それが田畑の肥料として還元されるなら、必ずしもムダにはなっていない。安全余裕を確保しつつ、どうしても発生する食品ロスを、有効に活用する方法を、食品ロスのゼロを目指す代わりに考えて頂きたい。
なお、農家で発生する規格外の野菜をムダなく食べることで食品ロスを減らそうとする動きもある。これは農家の生活を破壊する行為なのでやめて頂きたい。
その活動をしている方は善意だろう。売れない野菜を、安いとはいえ売れて現金が手に入り、消費者は安く食品が買えてウィンウィンだ、と。しかし。
消費者はそれでお腹いっぱいになってしまう。すると、農家が手にできるのは、規格外の野菜に相当するわずかな現金のみ。まともな野菜がまともな価格で売れるときよりも売上が減る。規格外の野菜が規格ものの野菜と同じ価格で消費者が買ってくれるなら農家は助かるが、残念ながらそうではない。
規格外野菜を安く売る行為は、農家の売上を減らし、老父母を病院に通わせたり、子供を学校に通わせたりするための現金を減らすことになる。農家が困窮することになる。残念ながら、規格外野菜を安く売る行為は、ウィンウィンどころか農家の生活を破壊しかねない行為。
それよりは、お店で売られている野菜を妥当な価格で買ってくれることのほうが、農家の生活を助け、農家に余裕が生まれることで技術が向上し、規格外の野菜を減らすことが可能になる。規格外の野菜を売る行為は、農家を貧しくし、技術の停滞を招きかねない。
ここで述べていることは、世間一般で食品ロスについて語られていることとは正反対とおもわれるかもしれない。しかし理屈を考えてみれば、ご理解頂けるだろう。経済の仕組みというのは、ややこしい。現場で、現実に何が起きているのかをよく観察する必要がある。頭の中で想像したことと全然違うことが多いから。
※食料安全保障を様々な角度から考えてみた本。8月発刊。