敵味方ない拍手
私が勝ち負けにあまりこだわらなくなったのは、剣道の最初の顧問の影響が大きかったかもしれない。非常に厳しい指導で知られていたが生徒からの信頼も厚く、当時、部員数は100名を超える人気だった。大阪市でも上位に食い込む強豪校でもあった。
顧問は剣道だけでなく他の武道にも熟達していて、合計15段という話だった。ある年、卒業式に不良たちが集団でその先生をホウキでタコ殴りにしようとしたのだが、返り討ちにあったという伝説も残っていた。さて、その顧問は一つ、面白い指導をしていた。
フェアプレイがあったら、敵味方関係なく拍手する、というものだった。練習試合にしろ公式試合にしろ、応援する私たちは、敵となる相手方から見事な技が繰り出されたら拍手するように指導されていた。このため、試合の勝ち負けに関係なく、相手の優れたところから学ぶクセがついた。
ところが1年後、その先生は転勤になってしまった。で、別の先生が顧問になった。練習試合をしたとき、相手方の攻撃にも拍手をいつものように送ると、新顧問は「なんで敵に拍手するんだ」と。私たちは「え・・・」ってなった。
新顧問になってからは、剣道部はどんどん弱体化した。敵からも学ぶ、というか、敵と考えず、ともに剣の道を歩んでいる仲間と考え、相手の打突からも大いに学ぶという姿勢が欠如するようになったのが、どれだけ影響したかはわからない。
私は、今でも敵味方ない拍手、というのを好ましいと感じている。WBCで見せた日本チームの姿って、そんな感じが強くした。相手の好プレイにも惜しみなく賞賛の言葉を送る。これ、今回のWBCを気持ちの良いものとして見ることができた大きな理由ではなかろうか。
私は結果として勝敗がつくのは仕方がないと思っているし、勝てばうれしいというのも分かる。ただ、敵味方に分け、敵には拍手をしないという料簡の狭いことをすると、かえって自分の成長を阻む気がしてならない。そして勝利にこだわることはしばしば、敵への敬意を失うことに通じることもある。
最初の顧問から指導されていた、もう一つのことを思い出した。「敵」と呼ぶのはためらわれるけれど、相手方の顧問なり、先輩なりに、練習試合の後、正座して「ありがとうございました」と言った後、アドバイスを頂くようにしていたこと。すると、あの打突はよかった、ここは改善を、と教えてもらえた。
勝った負けたは確かに発生するし、勝てばうれしい、負ければ悔しい、はある。ただ、変に勝敗にこだわると、勝ちのためなら手段を選ばず、自陣のメンバーの不手際を罵る料簡の狭い監督に、妙な言い訳、口実を与えることになるのではないか、という点を懸念している。
私は、勝負をするにしても勝ちに変にこだわらないようにする一つの方法として、「敵味方ない拍手」を作法として根付かせるのもいいんじゃないか、と考えている。そして相手方からも学ぶという姿勢をはっきりさせる。それにより、勝利から、自らの研鑽に視点をシフトさせることができるのでは。
私は強い方ではなかったが、それでも剣道を続けたいと思えたのは、勝ちにこだわらず、できなかったことができるようになった、という研鑽が楽しくて仕方なかったからだと思う。それを可能にしたのが、「敵味方ない拍手」という装置、相手方からも学ぶという姿勢だったように思う。
オリンピックのスケボー選手たちが見せたのは、挑戦することへの惜しみない拍手だった。「失敗しろ!そしたら自分の順位が上がる!」という料簡の狭い勝利主義ではなく、「よくあんな大技に挑戦したなあ!失敗したとはいえ、お前大したものだ!」とたたえ合っている様子が看て取れた。
勝利を喜んでいい。負けを悔しがってもいい。けれど、勝ち負けにフォーカスを当てるのではなく、相手からも学ぶこと、そして自分を研鑽すること。そちらの方が大事だし、何より楽しいし、相手も楽しいのではないか。負けてもサバサバできるし、次は勝つぞ!と相手にもさっぱりした気持ちで言える。
そういえば思い出した。最初の顧問の話だけど、試合で見事にストレート2本勝ちした選手がガッツポーズをした。するとその瞬間、主審だった顧問は旗を強く振り、2本目無効化の宣告をした挙句、反則負けを宣告した。相手への敬意を失った行為に非常に厳しい指導者だった。
私にとって剣道は、その最初の顧問の指導が原風景になっていると言える。相手への敬意を失わず、相手からも学ぶ。そうした姿勢があると、変に勝利にこだわらずに済むようになり、何よりも自分の成長、進歩に集中できるようになる。だから着実に強くなれる。
工夫を重ね、研鑽を重ねること。学べるのならどこからでも学ぶこと。それがいちばん進歩が速い気がするし、何より楽しい。勝っても負けても剣道が好き!と言えるようになったのは、そのおかげだろうと思う。フォーカスするのは工夫、研鑽にし、勝利ではない、と考えたほうがよいのではなかろうか。
そのほうが結局は進歩が速く、強くもなり、勝利もしやすくなる。工夫、研鑽を楽しむ。そのために相手からも学ぶ。敵とみなし、排除するのではなく。私はそうした考え方の方が好ましいと思っている。みなさんはいかがだろう。
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