大人物ほど、地道にコツコツ生きる人々に敬意と感謝を示す
高校や大学の同級生で、ツイッターやフェイスブックなどのSNSをやってる友人は少ない。「自分の日常を世間にさらして何が楽しいねん」。うん、全くその通り。「数人の仲良い友人がいる私はリア充、SNSでわざわざ友人を求める気になれない」とYouMeさん。そりゃ全くその通り。
日々を丁寧に生きてる人は、わざわざ架空の世界であるSNSに遊ぶ必要はないように思う。ツイッターやりまくりの私が言うのもなんだけど、SNSなんかに興味持つ必要なんかない、って人のほうが健全だと思う。SNSをやる人は、みんなではないだろうけど、日常に物足りなさを感じてるんだろう、と感じる。
韓信という男は、常に大言壮語を吐いてるくせにろくに働きもせず、食いつめて飢えて動けなくなってるところを老婆に助けられた。「いつか恩返しするよ」と言ったら、「大きななりして、働きもせずによく言うよ」と笑われたという。
韓信は、いつか大業をなそうという野望を持ち、腰に大剣をぶら下げていたところ、悪漢達に囲まれ、「その刀で戦う度胸がお前にあるのか、ないならオレの股をくぐれ」と言われ、股をくぐったという話がある。「韓信の股くぐり」と言われる、有名なエピソード。
韓信は、日常の中で満足することを願わなかったのだろう。実際、項羽の軍に所属していた時、そのまま兵隊でいればメシを食えたのに、いくら上に策を提案しても取り上げてもらえないことに不満を持ち、項羽軍のもとを去ってしまう。メシが食えるだけでは満足できなかったのだろう。
劉邦軍に来ても策が全然用いられないので不満に思い、韓信はまたしても軍を脱出しようとする。しかしこのとき様子が違ったのは、蕭何(しょうか)という、劉邦が信頼してやまない人物が韓信の見識の高さを知り、立ち去る韓信を追いかけ、劉邦に紹介したこと。劉邦もその見識に驚き、大将軍に抜擢する。
以後、韓信の大活躍が始まるわけだけど、大言壮語する人間って多いよなあ、と思う。韓信は驚くべきことに、部下をろくに持ったこともなく、人望もほぼない状態を続けてきたのに大将軍につくだけの準備を整えていた。恐らく、人知れず地道な努力を続け、研究を怠らなかったからできたことなのだろう。
大言壮語することは簡単にできるが、不遇の身にあって研鑽努力を怠らないことは難しい。自分の境遇が恵まれないことに腹を立て、腐る人間が大半だからだ。腐っては周りを「分かっていない」と罵り、呪いの言葉をぶつけるようになる人が多い。韓信は、それをせずに済んだ稀有な人物だったのだろう。
人間って不思議だな、と思う。一定の確率で現状に不満を持ち、大言壮語を吐く人間が生まれる。日常を丁寧に生きることを拒絶し、非日常な栄光を求める人が一定数現れる。私達の社会は、そうした人物を「大望を抱く青年」とか、「大きな夢を持て」と長らく称賛してきた。英雄豪傑を生もうとして。
でもその多くは、夢破れ、くだを巻き、周囲を罵るだけの人になる。地道な努力もいつしかしなくなり、自分を理解してくれる人が現れなかった不幸を嘆くようになる。SNSには、そういった人物が少なくない。現状に不満を持ち続ける人がSNSにはたくさんいるように感じる(もちろんそうでない人もいる)。
私は、日常を丁寧に生きる人が好きで、尊敬している。蕭何という人物は、劉邦を親玉として従うのたけど、全然目立たない、軍のために食料や武器をかき集め、支配した地域の治安につとめるという超地味な仕事を続けた人物。全然目立とうとしなかった。
そんな超目立たない仕事ばかりやってきた蕭何が歴史に名を残してしまったのは、全く劉邦による。
劉邦が中国大陸統一を成し遂げ、功績第一の人物を表彰しようということになったとき、劉邦が勲功一番として名を挙げたのが蕭何だった。これはみんなにとって意外だった。
蕭何は刀を持って前線で戦ったこともない。かたや、劉邦は何度も死にそうな目にあっており、そのつど体を張って命を助けた人物が何人もいる。でも蕭何は戦いの場から遠く離れた安全な場所にずっといた人物。そんな人物がなぜ勲功第一に?そんなざわめきの中で劉邦は理由を口にした。
「俺達のメシは誰が用意してくれた?」
劉邦軍は「メシが食える」軍隊だった。誰もが一旗揚げようと夢を抱く無頼の徒が多かったということは、メシが食えなくなればさっさと軍から逃げるということでもあった。しかも劉邦軍は項羽軍と違ってよく負けた。こういう軍は普通食えないからみんな逃げる。
しかし劉邦軍は、負けても負けてもメシが食えた。蕭何が後方で必死に食糧をかき集め、前線に送り続けたからだ。こんな驚くべき安定な活動を続けられたのは、恐らく蕭何が普段から治世にも心を砕き、庶民の心をつかんで協力する気にさせることに成功していたからだろう。
劉邦は、蕭何がいたからこそメシが切れることなく、軍隊が飢えることもなく、戦い続けられた秘訣だということを知っていたのだろう。負けても負けても復活する、劉邦軍の不思議なしぶとさは、全く蕭何の努力によるところだということを知っていたのだろう。
逆に言えば、劉邦が天下を取れたのは、蕭何のように、地味な仕事をコツコツやれる人物を評価できる君主だったからだろう。劉邦が、戦場で華々しく戦功を上げる人物しか評価できない人間だったとしたら、蕭何のような人物が劉邦を支え続けようと思ったか、分からない。
蕭何が、後方での物資調達という地味な仕事を懸命に頑張れたのは、劉邦が地味な仕事を非常に高く評価してくれていることを感じていたからではないか。実際、こんなことが。韓信が劉邦軍から逃げ出したのに気づいた蕭何は、韓信を追いかけた。すると劉邦は「蕭何までオレを見捨てた!」と勘違い。
蕭何が韓信を連れて戻ってきたとき、劉邦は何より蕭何が戻ってきたのを喜んだ。「お前まで逃げ出したのかと思ったぞ」と。いかに蕭何を高く買い、信頼していたかがわかる。それどころか、蕭何が推薦した韓信を、劉邦はいきなり大将軍に抜擢する。何の功績もない韓信に!蕭何の勧めがあったからこそ。
ここも、異常な程に蕭何を評価していた証しだと思う。蕭何は前線で戦ってきた人物ではない。戦場を知らない人物だと言える。だから、韓信に将軍の器があるかどうかを見極められるなんて、普通は思わない。でも、劉邦は蕭何の勧めに従った。劉邦の凄みはここにある。
地味で目立たない仕事をコツコツこなす人物を高く評価することに関して、劉邦は図抜けていたのだろう。劉邦は非常に粗野な人物で、コツコツ仕事が全くできない人間だった。大言壮語を吐く割には何もできない人物の代表格だった。妻の呂后と結婚する時のエピソードも無茶苦茶。
無一文のくせにものすごい大金を差し上げよう、とウソ八百のハッタリをかまし、その金額の高さに驚いた呂后の父親が賓客として劉邦を歓待した。劉邦は厚かましくもその歓迎を当然のように受けた。そのふてぶてしさは並大抵のものではない。そんな人物は通常、地味にコツコツ働く人をバカにしがち。
しかし劉邦は、自らは大言壮語を吐きながらも、一切大言壮語を吐くことなく、地道に働くコツコツ型の蕭何のような人物に敬意を払い、感謝を怠らない人物だった。大言壮語を吐く人間は、蕭何のような地味な人物を「俗物」とか呼んでバカにしがちだが、劉邦はそれをしないどころか、敬意を払った。
私は東日本大震災のとき、3月18日から準備に動き、翌日に被災地入りした。まだ原発がどうなるか予想できなかった時期で、そのために官僚の連中も被災地の現状がつかめず、弱っていた。私がツイッターを始めたのは、被災地での実況中継するのが目的だった。
すると、官僚の連中も、「被災地がそんなに困っているのなら、自分も被災地入りして支援活動すべきではないか」と浮足立った。私は「自分の仕事を大切に、丁寧に行ってほしい、被災していない場所が日常生活を滞りなく行えるから支援ができる。自分の仕事を全うすることが支援につながる」と伝えた。
鉄道では新型車両や運転士が花形かもしれない。飲料メーカーなら新商品開発が花形かもしれない。しかし鉄道は、夜中に線路のゆがみがないか、置き石がないかをチェックする保線の仕事なしには安全に運行できない。いかにおいしくて斬新な飲み物でも、虫が混入する事故を起こしたら倒産しかねない。
保線の仕事は、一般の乗客には目に触れない。飲料メーカーの品質保持の仕事は、虫が10年入らなくても誰もほめないが、一匹でも入ると罵られがちな、割に合いにくい仕事。もしこうした地道な仕事をトップがバカにし、見下すようなら、そんな会社は早々に倒産するだろう。
SNSでフォロワーがたくさんいる人のことを高く評価する人がいることは知っている。しかし本当に偉いのは、SNSをやらずとも日常を丁寧に過ごし、生きている人ではないか。その人たちがいなければ世の中は回らない。世の中が回ってこそ、いろんな挑戦も可能になるのだから。
韓信は大言壮語する人物だったが、やはり劉邦と同じように、地道に生きる人びとのことを高く評価する人物だったようだ。飢えて動けなくなった自分を数週間にわたって食べさせてくれた老婆を探し出し、大金を渡してお礼を述べた。心の狭い人物なら、それはできなかったろう。なぜなら、
老婆は世話してやりながらも「大きな体して働きもせずにブラブラして」と、はっきりバカにしていたのだから。そのことを恨みに思い、メシを食わせてくれた感謝を忘れる人間の方が大半だろう。でも韓信はその恨みの方は忘れて、恩義を忘れない方を選んだ。なぜこれができたのだろう?
それは恐らく、自分にはコツコツ働く事ができないけども、それができる人物を尊敬できる人間だったからだろう。
韓信は驚くべきことに、自分に対して「股くぐり」をさせた、最大の侮辱をした人物を見つけ出したとき、報復するどころか、役人に取り立てた。なぜなのか?
恐らく韓信は、自らが大言壮語する人物だったのだけど、大言壮語を吐く人物にろくなのはいない、ということを痛感していたのだろう。地道な仕事をまじめにつとめる人間がいてこそ世の中は成り立つ、という世界観を持っていたからこそ、股くぐりさせた人物をも評価できたのだろう。
大言壮語は通常、日常を丁寧に生きる人たちのことを小物、俗物とバカにし、自分を高みに置くための発言のことがほとんど。しかし韓信と劉邦に共通している、図抜けた特徴は、大言壮語を吐きながらも、地道な仕事をこなす人たちへの尊敬と感謝を失わなかったことだろう。だから歴史に名を刻んだ。
SNSでいくらフォロワーがたくさんいても、日常を丁寧に生きる人々への感謝と尊敬を失うようでは、尊敬するに値しない。SNSに関心を示さず、地道な仕事を怠らずに生きる人々に敬意を失うようなら、そんなSNSに値打ちはないように思う。