言葉は観察のためのきっかけでしかない、育児は考えすぎるな、観察し、感じろ!

武田信子さんが、首がすわる前の赤ちゃんの縦抱っこの危険性に警鐘を鳴らしたら、「げっぷをさせる縦抱っこもあかんのか?」と、意外な反応をされるらしい。で、言葉を尽くして武田さんがダメな縦抱っこと、げっぷをさせるときの縦だけど安全な抱っこの言語化に努めた記事。
https://note.com/nobukot/n/n3fdcbc3a1747?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR1yhfp8eJ-M6QzyOlJCLGZppvU2mHE-_prjqFLwznxo7MSHWwtLqF-yzFo_aem_RhtoUibQkmNErMW9EPVj8Q

こうした混乱が起きるのは、二つ原因があると思う。一つは、赤ちゃんを抱っこしたことがないという体験の欠如。首がすわっていなくてフニャフニャの赤ちゃんを抱いたことがある人なら、加減がわかるはずなんだけど、みな未体験だからどう抱いたらよいのかオロオロ。

もう一つの原因は「言葉に囚われやすい」。これは体験の欠如が原因でもあるのだけど、体験がないから言葉通りにしようとしてしまう。目の前の赤ちゃんから教わるのではなく、言葉をマニュアルにしようとしてしまう。しかし言葉というのは実に曖昧なもの。それを金科玉条にするのは危険。

ブルース・リーの「考えるな!感じろ!」と言いたい。変に言葉に囚われるのではなく、赤ちゃんがグニャグニャしている現実をよく観察して、壊れないように優しく抱く。そのやり方を、目の前にしている赤ちゃんから学ぶ。目の前の赤ちゃんから感じ、そして自分の内側から湧いてくる声に従う。

危険な縦抱っことは何か?というのを言葉で定義しようとすると、実に細かくなり、しかも膨大になる。そうなると、多くの人が読み切れなくなる。それよりは、目の前の赤ちゃんから学ぶ姿勢、自分の内部から湧いてくる仮説に従う姿勢が大切だと思う。言葉に振り回される前に、感じろ!

「感じる」という、言葉にならないものでうまく物事を進めるには、体験を積むことが大切。もっともっと、赤ちゃんを抱っこする機会を私たち自身が持つ必要があると思う。小中学生の頃に一度だけでもいいから、そういう体験を積んでおいたほうがよいと思う。本来、言葉で伝えるものではないのだから。

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