「それは一部しか改善できない」と指摘することのナンセンスさ
私はツイッターで「こうしたら改善できるのではないか」という考えをつぶやく。すると、「それで改善できるのは一部だ」と指摘する人が時々いる。私は、こうした指摘はナンセンスだと考えている。どんな病気も治せる万能薬なんてないのだから。どんなクスリだって一部の病気しか治せないのだから。
オプジーボというクスリは、ノーベル医学生理学賞を受賞した。では万能薬かといえばさにあらず。病気の一部であるガンの、そのまた一部を治せるに過ぎない。が、今まで手の施しようがなかった皮膚がんを治せることがあるという点で画期的。万能でなくてもその画期性は失われない。
物事は全て一部しか改善できない。それでも一部が改善できただけで画期的。これは私からしたら常識であり、「一部しか改善できない」と指摘するのはその常識がないのか?と疑ってしまう。なぜこんな常識さえ踏まえることができないのだろう?なぜそんな発言をしてしまうのだろう?
恐らく、次のような思考回路なのだろう。「一部の改善で舞い上がってるようでは、それが全てであるかのように視野が狭くなっているのだろう、それに比べて私はうまくいかない事例にも気がついている。視野の広さでは私のほうがはるかに上だ」と。でもこれってただの評論家的視点。
しかも、物事の改善は一部しかできない、という常識を踏まえていない点で、視野が広いどころか常識不足のように思う。うまくいかない事例を指摘したら自分のほうが上、というマウンティングをしたいだけ。これは実にナンセンスな行為のように思う。
そんなナンセンスな行為にかまけるよりは、一部でもよいから、ささやかでよいから改善の道を探る。そのほうが楽しいし、面白いと思う。視野が広いつもりの常識知らずの行為は、そろそろ恥ずかしいことだということが常識になったらいいなあ、と思う。