「なめられるまい」「へりくだる」以外の人間関係の作り方
年配男性に比較的よく見られるように思う「呪い」。他人と向き合う際、「へりくだる」と「なめられるまい」のニ種類しかないように思い込んでる人を見かけることがある。だいたいそういう方は、仕事人間で来たご様子。
会社で営業していれば、お客さんに気持ちよく過ごしてもらうために「へりくだる」必要があるのはご存知の様子。これを続けていればお客さんとは良好な関係を続けられる。ただしこの関係は、相手を上位に置き、自分を下位に置く関係だから、そんな人間関係ばかりだとつらくなるらしい。
で、「なめられるまい」という気持ちがもたげて、「オレはこんなビッグな仕事をしてきたんだ」と自慢を続けるようになってしまう。こんな態度をされた側は、「へりくだる」か、うっとうしい人だと敬遠するかを余儀なくされる。このため、人が遠ざかりがち。
「へりくだる」では面白くないから「なめられるまい」をする。しかし「なめられるまい」は、相手が「へりくだる」をしてくれない限り人間関係は成り立たない。もし相手がメリットを感じない人間関係なら、断ち切られてしまう。かくて、孤立しがち。かと言って、仕事時代の「へりくだる」はまっぴら。
このため、「なめられるまい」と「へりくだる」のニ種類しか人間関係の姿勢を知らない人は、孤立しがちだなあ、と思う。第三の人間関係の構築の仕方があるのに、果たしてそれに気づくことができるかどうか。
第三の人間関係の構築法、それは「驚く」だと考えている。しかし「へりくだる」と「なめられるまい」のニ種類しか知らない人は、「へりくだる」に似ていると思い、そんな屈辱的な態度はもうとりたくない、と、拒否を示すことがある。確かに「驚く」は「へりくだる」に似てる部分はある。
しかし私は「驚く」と「へりくだる」は似て非なるものだと考えている。「へりくだる」は、相手をほめそやし、自分のことは「私などとてもとても」と低姿勢に徹する。しかし私は「驚く」場合、ほめる必要も低姿勢になる必要もないと考えている。
ソクラテスの「産婆術」が参考になる。ソクラテスは、若者の話を聞くのを好んだという。若者のふとした言葉を聞き逃さず、「ほう、それはどういうことだね?」と、軽く「驚く」声を上げながら興味を示す。その問いかけに若者が答えると「面白い、そこを掘り下げようじゃないか」と、言語化を始める。
ソクラテスは、相手が博識の人だろうが無知な若者だろうが、関係なく相手の言葉に興味を持ち、軽く「驚く」声を上げ、関心を持って問いかけた。すると相手はウンウン考えながら答えてくれる。するとソクラテスは再び「面白い!」と軽く「驚く」をして、自分の考えも加味しながらさらに問いかけ。
これをされると、相手は言語化したことのない世界に突入することになり、ソクラテスの問いかけによって頭脳が刺激され、思わぬ言葉が自分の口をついて出てくるものだから驚嘆する。知恵がコンコンと湧いてくるようで、だから若者はソクラテスのそばを離れなかったらしい。
赤ちゃんの首がようやく座り、初めて公園に向かった「公演デビュー」の日。私は心配でYouMeさん赤ちゃんと一緒についていった。するとあっさり他のお母さん方と仲良く談笑してる。
しかもそれは近所だけでなく、大阪の初めての公園でも同様にすぐ談笑する。一体どんな秘訣が?
YouMeさんを観察すると、まず公園で遊ぶ子どもたちに「驚く」をしていた。走ってるお兄ちゃんを見ると「あのお兄ちゃん、足が速いねえ!」と赤ちゃんに語りかけ。ジャングルジムで高いところまで上がる女の子を見たら「わあ!あんなに高いところまで!」と驚きながら、赤ちゃんに語りかけ。
自分のことに「驚く」大人がいると気づいた子どもたちは、「ぼく、こんなことができるよ!」「わたしはねえ!」と、YouMeさんに猛烈アピールをするようになる。YouMeさんはへえ!わあ!と、赤ちゃんに語りかけながら驚いていた。するとその子らは「その赤ちゃん、おばちゃんの子ども?」と聞いてくる。
「そうなの。一緒に遊んでやってくれる?」というと、「いいよ!」と、おもちゃを持ってきてくれたり、一緒に砂場で遊んでくれたり。
うちの子がよその子の面倒見るなんて珍しい、と驚いて近づいて来たお母さんに「優しいお子さんですねえ」と驚いてみせると、打ち解けて話しかけてくれ。
YouMeさんは別にへりくだっていない。自分を低くするような発言は一切していない。「ほめる」という、心に思ってもみないこともしていない。ただ、YouMeさんは赤ちゃんである息子から見て驚異のパフォーマンスを見せるお兄ちゃんお姉ちゃんに、素直に驚いてみせただけ。
すると子どもたちは驚きの優しさを赤ちゃんに示してくれ、そうした優しさを素直に驚きとして表現したらその母親まで心を開いてくれて。
そうか!「驚く」って、こんなにも人の心を開かせる力があるのか!と、目からウロコの体験だった。
劉邦や光武帝、劉備などは、この「驚く」の達人であったらしい。自分にない能力やパフォーマンスを示す人に驚く。すると相手は、また驚かしてやろうとさらにハッスルする。それを繰り返しているうち、離れがたくなって、いつしか相手が部下として仕えるようになってしまう。
しかしこの3人の面白いのは、部下扱いしないこと。自分にない能力の持ち主として、常に驚いてみせている。すると相手は不思議なもので、自分のパフォーマンスに驚く形で自分の価値を認めてくれるこの人に、高い地位を占めてもらいたいと願うようになり、自ら部下となって獅子奮迅の働きをするらしい。
自分のパフォーマンスや能力に気づいてくれる人、驚いてくれる人は、偉い人であってほしい、と考えるようになる不思議な作用があるらしい。それはおそらく、自分に驚いてくれる人が偉ければ、その人が驚く対象である自分も高みに上がることになるのを無意識のうちに理解するからだろう。
だから「驚く」は「へりくだる」と違って、相手を変に高みに置くことはないし、自分を低く置くこともしない。ただ相手に「驚く」だけ。すると、相手は心を開き、しかもこちらを尊重してくれるようになる。とてもありがたいこと。
だからもし、人間関係の作り方で「へりくだる」と「なめられるまい」のニ種類しか姿勢を知らない人は、「驚く」を試してほしい。相手も自分も心を開き合い、高みへと向かっていく感覚を味わえる。しかもソクラテスの産婆術のように問いかければ、知らなかったことも言語化できていく。楽しい。
「驚く」こと、問いかけること。この2つは、人間関係を良好にし、共に知を楽しむことを可能にしてくれるように思う。できるところから少しずつ試してみて頂きたい。