第二次大戦前から現代までの経済学の流れ 「大量消耗」消費から「極少消耗」消費社会へ

経済に関して論ずると、異論が噴出する。まずまとまることがない。大きな学派を並べても、新自由主義、マルクス主義、ケインズ経済学。この三つの意見が一致することはあまりない。だから何言っても反論が必ず出てくる。しかも私はゲゼルとソディが好きというマニアック。

新自由主義は、シュンペーターのイノベーション論と合流する形で、近年幅を利かせた。GAFAみたいな存在は、新自由主義とイノベーション論という理論の後押しがないと、成功は難しかっただろう。既存の秩序を破壊することを良しとする新自由主義とイノベーション論が、GAFAの誕生を助けた。

マルクス主義は、新自由主義のご先祖である自由主義が花盛りだった時代に生まれた。産業革命以来、ヨーロッパでは既存の秩序を新技術が破壊し続けていた。機械化された綿工業は、手で機織りする人たちの仕事を奪い、世界一安い綿製品を大量に作り出した。その結果。

多くの人が仕事を失い、困窮した。工業化した工場は人を雇いはしたが、当時は給料は非常に安く、しかも長時間労働。健康を損ない、若死にする人が多かった。この社会情勢を肯定する考え方として、自由主義が普及した。弱肉強食だもん、仕方ないよ、と。

機械が俺たちの仕事を奪った、ということで労働者たちが機械を打ちこわしするラッダイト運動というのを起こしたけど、時計の針を戻すことはできなかった。政府もそうした破壊活動を取り締まったし。結局、労働者は低賃金で長時間働き、若死にするしかない状況に追い込まれていた。

マルクス主義はこうした時代背景の中で生まれる。資本家が労働者から搾取しているとし、労働者は人間らしい生き方ができないまでに追い詰められている(疎外といわれる)として、労働者主体の社会を作ろう、と主張した。これがやがてソ連をはじめとする共産主義国を生むに至った。

お金持ち憎しで共産主義は誕生したわけだけれど、第一次大戦後、やはりお金持ち憎しで生まれた思想がある。ナチズム。俺たちアーリア人は搾取されているとし、お金持ちの象徴としてユダヤ人を虐殺した(実際には、ユダヤ人には貧困層も少なくなかった)。

第二次世界大戦は、「お金持ち憎し思想」であるナチズムとの戦い、という側面がある。同様に「お金持ち憎し思想」である共産主義も、資本主義国からしたら煙たかったが、まずはナチズムをやっつけなくちゃ、ということで連携。なんとかナチズムをやっつけることができた。

しかし戦後、資本主義国は「お金持ち憎し思想」の生き残りである共産主義と対峙することになった。共産主義国でもお金持ちは全財産を没収されたり、シベリア送りにされたり、場合によっては虐殺されたりしていた。資本主義国にいたお金持ちは、もし共産主義になったらと思うと、恐くて仕方なかった。

戦後、「ドミノ理論」というのが信じられていた。何も手を打たなければ資本主義国は次々に共産主義化していくだろう、と。ドミノ倒しのように。そのくらい当時、共産主義は人気の思想だった。資本主義の権化みたいに思われているアメリカでさえ、共産主義の嵐が吹き荒れていた。お金持ち、恐怖。

貧乏人を食い物にし、お金持ちばかりが有利になる、それまでの自由主義とも違う、しかし「お金持ち憎し思想」であるナチズムや共産主義とも異なる、第三の道はないか、と、当時のお金持ちたちや支配者層は考えた。その時、ちょうど現れた経済学がケインズ経済学だった。

ケインズ経済学を理解するのに、二人の「変わり者」を紹介しておくと分かりやすいかもしれない。ロバート・オウエンと、フォード。この二人は、金持ちが貧乏人を搾取するのが当たり前だった自由主義経済の中で、独特の道を探った変わり者だった。

オウエンは、産業革命が起きたイギリスで、工場で働く労働者にきちんとした賃金を支払い、現在の生協のルーツにもなる、品質が良く、値段も手ごろな生活用品を販売する店を用意し、労働時間を短縮するなど、福利厚生を充実させた。ほかの工場主はバカにしていた。それでは労働者がつけあがる、と。

他の工場主は、労働者は愚かであり、給料を増やしても全部飲んでしまって貯蓄もしないだらしない人間なのだから、生きていくギリギリの給料に抑え、できるかぎり長時間労働させ、生産性を上げるのが経営の王道だ、と考えていた。オウエンの試みは愚かにしか見えなかった。ところが。

オウエンの経営する工場は、世界で断トツの品質を誇る糸を紡ぎ出した。しかも品質が安定している。当然高く売れる。これは、福利厚生が充実し、ゆとりを持てた労働者が意欲的に働き、品質向上に努めれば自分たちも豊かになれる、ということを知っていたから。オウエンの工場は世界一成功した工場に。

時代がもう少し下り、フォード。フォードは当時、非常識な労働条件で自動車を作るようになった。週休二日、労働時間は1日8時間、給料は破格の高額。アメリカの他の工場主は反対し、次々フォードに忠告した。そんなことをしたら労働者がつけあがるだけ、経営は失敗に終わるぞ、と。

ところがフォードの自動車工場は大成功。8時間労働週休二日のゆとりある労働条件のおかげで不良品もなく、ベルトコンベアを導入した大量製造法も確立、自動車の量産化に成功。労働者自身が自動車を購入するお客さんに。それがまた会社の利益に。好循環が起きるようになった。

ケインズは、所有欲を否定しがちなマルクス主義ではうまくいかないと考えていた。そこで、オウエンやフォードのような「変わり者」だが成功した事例に合致するような経済学を打ち立てた。そのときケインズは、自由主義やマルクス主義とは異なるものを重視するという革命的なことを行った。

自由主義もマルクス主義も「生産」に軸足を置いていた。ともかく安く大量に作れば買う人はいるから、どんどん生産性を上げて安く大量に作ろうぜ、という発想。しかしこれを続けると、みんな貧しくなる。なぜか。安く大量に作ると、なるほど最初、消費者はそれに飛びつく。しかし。

そうすると高いものは買わなくなるから、高いものを作るところはつぶれるか、あるいはもっと安く作って生き残ろうとする。安く作るには、労働者の賃金を抑えるなど、コストを削減しようとする。すると、労働者は消費者でもあるから、消費を控え、できるかぎり安いものを買おうとする。これが続くと。

給料が下がる、安いものしか買えない、すると会社がまた給料を下げて、より安いものしか買えない…という悪循環になる。自由主義にはこの問題があった。
共産主義は、計画的に必要なだけ作って価格を一定にしようとしたけれど、どうも計画通りに作れないし、何より。

人間は珍奇なものを喜ぶ生き物らしく、10年たっても同じものだと飽きる。計画的に製造するには決まりきったものを作るのが楽だけれど、作る側も面白くないし、買う側も面白くない。共産主義は、計画的に作ることに意識を置きすぎて、マンネリになり、社会が停滞する問題があった。

ケインズは「生産」ではなく「消費」に軸足を置く、という、これまでの経済学とは全然異なる視点を導入した。これはもしかしたら、フォードのやり方からヒントを得たのかもしれない。フォードの考え方では、労働者は「作る人」でもあるが、同時に「自動車を買ってくれる消費者」でもあった。

だから、労働者に十分な給料を渡せば、たくさん商品を購入してくれる消費者になる。すると製品はどんどん売れ、売れるから労働者にもさらに給料を上乗せすることができ、だからまた消費が伸び…と、経済が成長する、とフォードは考えた。ケインズも同様に考え、経済理論を構築した。

いかにたくさん安く作るか、という視点から、「いかに消費してくれる消費者を増やすか、消費者の懐を温かくするか」という視点に切り替えたのが、ケインズ経済学の特徴。この独特の経済思想に、戦後アメリカ社会のお金持ちたちが飛びついた。

このままではドミノ理論通り、アメリカもいずれは共産主義化してしまう。すると、お金持ちは全財産を没収され、場合によっては殺されてしまう。そんなことになるくらいなら、儲けを労働者と分かち合った方がマシ、と、ケインズ経済学を戦後資本主義社会に広げることに決めた。

これは戦後、大成功する。ソ連をはじめとする共産主義国は、軍事技術を除くと技術的革新が起きにくく、経済は停滞したままだった。しかし「消費」に軸足を置いたケインズ経済学を採用した西側欧米諸国では、新しい消費を刺激するような新商品が次々生み出され、経済は活性化した。

ケインズ経済学は、いわば、ナチズムや共産主義といった「お金持ち憎し思想」が自国にはびこるくらいなら、まだ労働者と儲けを分かち合う方がマシ、という消極的理由で採用された経済思想だといえる。だから、ソ連が崩壊するまでは、ケインズ経済学は西側諸国の主流の思想であり続けた。

ところが。ソ連が崩壊すると、共産主義国が次々崩壊。共産主義は一気に下火に。これにより、「お金持ち憎し思想」は絶滅状態に。この時から、お金持ちは「共産主義が消えれば怖くない、俺たちを虐殺しようとしたり全財産を没収されたりする心配はなくなった」とタガが外れ始めたらしい。

次第にお金持ちに有利な政策がとられ始めた。相続税を安くすることで子孫に財産を残しやすくなり、所得税の累進課税を緩くすることでお金持ちはたくさんの所得を残せるようになり、法人税が安くなることで、株主として配当金をガッポリもらえるようになった。

日本の場合、ついに産業革命時と同じように、労働者の賃金を下げて企業の儲けを増やし、それを株主への配当を厚くするのに使わせる、という動きが盛んに。ケインズ経済学の「消費者を育てる」ではなく、労働者は低賃金でなるべく長時間こき使う存在、という、戦前とよく似た扱いになり始めた。

アメリカでも深刻な状態に。シリコンバレーには優秀な移民がたくさん活躍し、IT企業が花盛り。インターネット産業は優秀な人材にはものすごく高額の報酬を与えるが、雇用する数は抑える。そうすることで企業の儲けは最大になり、投資家はその儲けを配当金としてもらえる。高い株価で株を維持できる。

お金持ちに有利な社会が2000年代に入って、日米欧で顕著になってきた。しかしここで激震が走る。トランプ大統領の誕生。これはアメリカのお金持ちたちや支配者層(エスタブリッシュメント)には相当の衝撃だったらしい。

トランプ大統領は「錆びた地帯(ラストベルト)」と呼ばれた、白人貧困層から絶大な支持を取り付けて当選した。また、別の大統領候補として立候補したサンダース氏は、民主社会主義を唱え、金持ちと貧乏人の巨大な格差を是正しよう、と訴え、大人気だった。

こうした社会情勢を見て、アメリカのお金持ちなど支配者層は「非常にまずい」と感じたらしい。戦前、ナチズムや共産主義が「お金持ち憎し思想」として誕生し、お金持ちの全財産を没収し、あるいは虐殺したのと同じ社会情勢になっているのでは?と恐怖した。

幸か不幸か、誕生したトランプ大統領自身がセレブ(お金持ち)だったから、お金持ちに真に不利になる政策はとらなかった。しかしトランプ大統領の言動と人気の強さを見ると、ナチズムがいつ生まれても不思議ではない、と、アメリカ支配層は強い不安を抱いたらしい。

また、サンダース議員の人気ぶりを見ても、たとえナチズム的な思想を排除できたとしても、共産主義的な思想が復活するリスクが高い、と思われた。アメリカ支配層は、ナチズムでも共産主義でもない、第三の道を見つけないと大変なことになる、と真剣に心配し出した。それが。

ステークホルダー資本主義。労働者や資本家、地域住民など、社会に存在する利害関係者(ステークホルダー)全員にとってメリットになるような経済政策を重視しようじゃないか、ということが語られるように。つまり、お金持ちが利益を独占する社会から、分かち合う社会への変貌。

最近はエシカル(倫理的)投資として、ESG(環境、社会、ガバナンス)投資なんて言ったりする。お金持ちは今後、自分たちの利益だけを考える投資ではなくって、人類全体、あるいは地球全体によくなるような投資をしなければならない、ということが訴えられるようになった。

いわば、戦後社会がケインズ経済学を採用し、なるべく多くの人々に利益がいきわたり、みなが「消費者」として豊かに暮らせる社会にしよう、という考え方が、形を変えて復活したといえる。しかし、ケインズ経済学と一転異なることがある。それは「消費」を変に増やすわけにいかない、ということ。

ケインズ経済学が「消費」に軸足を置くことで成功することができたのは、「石油」のおかげだった。石油エネルギーのおかげで人類は大量生産大量消費が可能になり、多くの人々が物質的な豊かさを味わえるようになった。しかし。

エネルギーの浪費と廃棄物の問題で、地球環境が壊れ始めている。大量生産大量消費を前提とした経済システムでは、地球環境を守ることができず、結果的に人類は生きていけなくなる。

そこで私の提案は、「消費」と「消耗」を分けて考えること。これまでの「消費」は大量生産大量消費を意味し、エネルギーも資源も大量に「消耗」し、地球環境の健全さも「消耗」してしまっていた。しかし、必ずしも「消費」は「消耗」を伴うわけではない。その典型が、インターネットの消費。

インターネット上では、今や動画やゲームなど、多彩なエンターテイメントが提供されている。本もデジタル。スマホのわずかな電力「消耗」だけで、これらの商品を大量に「消費」することが可能。大量「消費」しても、エネルギーや資源の「消耗」は最小限に抑えることができる。

今後、ステークホルダー経済学を実のあるものにするためには、ケインズ経済学が軸足を置いたように、「消費」を盛んにする必要がある。多くの人たちが大量に「消費」できるよう、十分な給料をもらえる社会にする。ただし、エネルギーや資源の「消耗」は最小限に抑える社会に。

というようなことを、ジブリが発刊する「熱風」2022年2月号の特集「アフターコロナの経済」に載せていただいた。関心のある方は、読んでみて頂きたい。
https://ghibli.jp/shuppan/np/

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