失敗を楽しみ、工夫に驚く
「結果よりプロセスをほめよう」とは、ビジネス記事でよく見かける内容。子育てでもよく見る。別にそれで間違ってはいないとは思うのだけれど、私にはよくわからない。まだ解像度が低い気がする。プロセスをほめてもうまくいかないケースを見るから。
たまに、すごく頑張ってるアピールする人がいる。そういう意味ではプロセスを頑張っているわけだし、ほめる案件なのかもしれない。しかしそれを頑張っても決して結果につながらないことがまるわかりなのに、前にほめられたことに味をしめて、あるいはそれを言質にとって、ひたすら同じことの繰り返し。
これでは結果が全く出てこない。プロセスをほめたら結果が全く出なくなって困ってしまうことになる。そのため、「プロセスをほめる」をやめて結果を重視する指導法に逆戻りするケースをこれまで見てきている。となると、「結果ではなくプロセスをほめよう」は、何か変なところがあるのだろう。
私は、「工夫や発見、挑戦、あるいは努力や苦労に驚き、面白がる」というふうに言語化している。特に「工夫に驚く」を重視している。
子どもやスタッフが、これまでに試したことのない工夫をしたら、私は「お!」と驚くようにしている。それがたとえ失敗に終わっても構わない。
新しい工夫は、これまで試したことのないものだから、結果もどうなるかわからない。それは新発見につながるかもしれない。少なくとも、「こうすればこうなるんだな」という新しい知見、体験ができる。工夫は、今まで知らなかった発見でもある。たとえ思った結果につながらなくても。
子どもやスタッフが、今までにない工夫をしたら「お!」と驚き、どうしてそんな工夫を思いついたのか、どうなると想定したのか、そしてどんな結果になったのか、を興味深く聞くことにしている。多くの人は「失敗しちゃいけない」呪いにかかっているので、叱られるかも、と警戒することが多い。
でも私は子どもにもスタッフにも、「失敗というのは想定外のことが起きたということ。ということは、知らないことが起きたということ。知らないことはぜひ知りたい。せっかく失敗したのだから、そこから汲み取れる知識はみんな吸収したい」と、普段から伝えている。
するとホッとして、なぜこんな工夫をしようとしたのか、どうなると予想したのか、試してみてどんな苦労があったのか、結果はどうなったのか、を安心して説明してくれる。私はそれを興味深く聞き、「なるほど!また新しい工夫をしたら、結果はともかく教えてね!」と伝える。すると。
子どももスタッフも、いろんな工夫を考えるようになる。そしてその工夫を説明してくれるようになる。私は面白がってその話を聞き、また新しい工夫をしたら教えてほしい、と伝える。すると、どんどん工夫をするようになる。
工夫をしようとする人は、物事をよく観察するようになる。観察すると、「ここをこうすればこうなるんじゃないか」という推論を働かせるようになる。そして実際に思いついた工夫を試してみる。こうした科学的な手続き(観察・推論・仮説・実験・考察)が自然に動き出すようになる。
観察しては工夫を考え、試してみて、その結果を踏まえてまた観察、そして新たな工夫。こうして、常に新しい工夫をこらすようになる。よく観察もしているから、工夫もどんどん妥当で的確なものになっていく。工夫を重ねるから、いつか成功させてしまう。結果を出してしまう。
そう、「結果をほめずにプロセスをほめよう」というのは、やはり解像度が悪いように思う。それよりは、「失敗を楽しみ、工夫に驚こう」の方が、解像度が高いのではないか、と考えている。失敗を楽しみ、工夫に驚くと、子どもやスタッフは物事をよく観察し、結果もどんどん出すようになるように思う。
結果を云々するのは、よくない結果をもたらすように思う。結果にやかましいと、「失敗してはいけない」という呪いにかかってしまう。その呪いにかかると、自分を叱る親や上司の視線が気になって、物事を観察するゆとりを失い、手元を落ち着いて観察する余裕を失う。余計に失敗を繰り返すようになる。
だから私は、むしろ失敗を楽しむことにしている。失敗を一緒に楽しむと、子どもやスタッフは安心してその現象をよく観察し、互いに気づいたことを言い合い、「じゃあ、次はこうしてみたらいいんじゃないの?」という工夫まで思いつく。落ち着いて観察するから打開策も見えてくる。
結果を出したいなら、成果を出したいなら、失敗を楽しむこと。失敗を楽しめば、落ち着いて物事を観察できる。冷静に手元を見つめることもできる。気づいたことを列挙し、そこから解決策が見え、工夫する方法も思いつく。だから結果、成果を出せるようになるのだと私は考えている。
芸大の先生が面白いことを言っていた。面白い手法だなと思っても、それをほめないようにしているのだという。それをほめると、その手法ばかり駆使して新たな工夫をしなくなるからだという。同じ手法でまたほめられようとしてしまうらしい。その結果、マンネリに陥ってしまうそうな。
だから私は「工夫をほめる」のではなく「工夫に驚く」と表現するようにしている。「ほめる」というのは、ほめた方向で進め、それを繰り返せと誘導しているニオイがする。このため、ほめられたことを繰り返そうとしてしまう。しかし同じことの繰り返しは、進歩を止めてしまう。
しかし「驚く」は、同じことの繰り返しだと驚けない。驚くという反応は、常に新しいものに対してだけ行えるもの。だから、「お!その工夫はこれまでに見たことがないね!」と驚くと、次は別の工夫で驚かせてやろう、と企むようになる。同じことの繰り返しがなくなる。
だから私はこのごろ、「ほめる」という言葉をほとんど使わなくなった。ほぼすべて「驚く」に置き換えてしまった。どうやらそのほうが、驚かしたほうが楽しそうだし、新たな工夫を考えるようになると気がついたから。
「結果をほめずにプロセスをほめよう」よりは、「失敗を楽しみ、工夫に驚く」ほうが、私にとっては解像度が高いし、子どもやスタッフの進化を促し、結果も出すようになるように思う。今のところ、この指導方針を取るようになってから、苦労がない。みんな、自発的能動的に動くから、こちらはラク。
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