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【腹撲】兵庫県知事は辞職すべきか?

(この記事は2024/07/17に書きました)
 知事は辞職すべきなのでしょうか。
 ただいまニュースで色々騒がれています。さらに今まで眠っていた細かい事実が掘り出され、さらにその包囲網は狭まっていると報道されておりました。

 ここではその是非は述べません。
 ただ「ハラキリ撲滅委員会」としての一意見を述べます。

この記事のまとめ

・辞職だけが責任の取り方ではない
・メディアは辞職を促す報道を避けるべき
・辞職には多大なるサイレントコストがかかる


辞職だけが選択肢ではない

 海外は存じ上げませんが、日本で何か問題があるとすぐメディアではこの言葉が出てきます。

「辞職の意はないようです」
「辞職の意向は否定しました」

 これは非常に問題のある報道となっています。理由は以下の通り。

・辞職をしないといけないような世論へ誘導される
・「辞職の意向はない」という報道で、どちらかというと責任感が少ないような印象を与える
・このようなことがあったら辞職するものだ、という印象を与える
 

 代わりにこのような報道をすべきと提案します。

知事の進退については●●と考えているようです。

ではハラキリ(辞職)以外でそのような進退があるのでしょうか。

ハラキリ以外の責任の取り方

 私が提案する選択肢は以下の通りです。

<給料というペナルティ>
・減給
・次回選挙まで無報酬

<選挙に不出馬>
・次回の選挙に不出馬
・●年間選挙に不出馬
・次回の選挙活動禁止(出馬はできる)

給料というペナルティ 
 わかりやすく手っ取り早いですが、お金の問題じゃないだろう、ということで市民の理解は得難いかもしれません。これで済むような場合はそこまで問題とならないでしょう。

次回選挙へのペナルティ
 責任者がいなくなる(辞職する)ということは、その間政治的空白が生まれます。その間に進められたであろう市民のための政治活動が止まることになります。また、あらたな選挙となると多大なる税金が投入されます。

 また、問題を起こしてしまった当事者は、場合によっては最もその問題を解決できるチャンスを持っているかもしれないのです。その挽回する機会を完全に奪ってしまうことになります。

 これらを解決するための提案がこれです。
 次回選挙不出馬というのは政治家にとって給料とは比べものにならないほどの打撃のあるものになりますし、挽回の機会を与えるということ、政治的空白を避けること、多大な税金から使われる選挙費用を押さえるというメリットもあります。

 一方で、次に当選しないリーダーでは求心力が弱い可能性があります。当選してすぐなら再度選挙をしてしまったほうがいいかもしれませんし、あと少しであれば、任期を全うしてもらった方がコストが安い場合もあります。

 出馬はできるけど、選挙活動はできない、今回の不祥事を必ずアピールしながら選挙活動をする、といったペナルティを課してもいいかもしれません。

辞職が第三者から強制される場合

 忘れないでください。知事や議員は選挙によって選ばれたのです。それを第三者が辞めるよう促したり、誘導することは望ましくありません。そのようなことができるのは原則選挙で選んだ人のみです。

辞めさせたい場合は住民選挙によるリコール

 通常であれば、辞めさせるためには住民選挙によるリコールをすべきです。選挙権のある方が選んだ人を選挙権のある人が辞めさせる、これが一番シンプルです。

政治的理由で対抗勢力がハラキリを悪用するケース

 ハラキリ(辞職)のハードルを上げるべきだ、ということにはもう一つ理由があります。それは対抗勢力によってメディアを誘導し、ハラキリが悪用されてしまうケースがあるからです。

 当然、現在トップに立つ人物と考えが異なる勢力にとっては、辞職させられることが望ましいわけです。その手段としてハラキリが使われてしまう危険性があります。

 そのため、辞めさせるためにはそれなりにしっかりとした手順を追って行われるべきと考えます。現在のようにメディアで

「辞職の意向はないようです」
「さまざまな問題が上がってきました」

 というように徐々に世論を誘導して自主辞職を促すような流れはこのようなリスクを回避できません。

 やはり住民投票を課すなどハードルをあげるべきです。

ハラキリが日本をダメにした

 ここまで書いてもこういう意見もあるでしょう。

ダメな事をした人はやめればいいんだ。それによるデメリットもあるだろうが、それも踏まえて選挙で選んだんだから選んだ人の責任だろう

 それも一理あると思います。ただ、私が敢えて「ハラキリ撲滅」を掲げるには、日本人独特の理由があります。

何かあったらどうするんだ? が合言葉の日本人

 「何かあったらどうするんだ」これが新たなチャレンジを妨げる強い要因となってきました。「ハラキリがあるかもしれない」という強い畏敬の念を抱きながら政治を扱うということはある意味真剣に取り組むという点では大事な点かもしれません。

 しかし一方で、何かあったら辞めなければならない、というリスクがあるせいで、市民にとって良い政策などが立案しにくい環境になってしまっているのも事実です。

河野太郎氏とマイナンバーカード

河野太郎氏は国民のための政治改革を実直に進めている珍しい政治家と思われます。マイナンバーカードの制度は原則いいことしかないのに、新たな事をするたびに、何か小さな問題があるたびに問題のみ報道されるという文化から、攻撃の的になってしまいます。自分が政治家だったら「こんな扱いされるなら、国民のためにいい事であっても、やめるわ」と思うでしょう。
 何かやれば必ずリスクもあるということを忘れてはいけません。問題ばかり取り上げられる情報もしっかりと見定めなければなりません。

ハラキリとそれ以外の決定的な違い

 かといってなんでも失敗してもいいというわけではありません。それなりの足枷、ペナルティは必要となります。しかし辞任となると完全に一時的に政治生命が終わってしまうので、それを挽回する機会も与えられません。ペナルティを与えるメリットより、デメリットがはるかに上回ってしまうのです。

 ですから、辞任させるなら逆に本人の意向であっても、その行為自体ハードルを上げさせるべきなのです。

腹撲からのお願い

メディアへ

 これについて辞職の意向はないようです

 という報道を控えてください。別の言い方もあると思います。「今後の進退については●●との意向のようです」と言うべきです。

視聴者の方々へ

 辞職だけが責任の取り方全てではありません。
 私が考える辞職理由は以下の通り。

・犯罪を犯した
・選挙自体に不備があった、経歴詐称があった
・選挙権のある人間が辞職を選択している

BPOをご存知ですか? 

BPOとは放送倫理・番組向上機構のことです。

 ここに、「放送への意見はこちら」というのが上部にあると思います。ここで番組への意見を述べることができます。

 放送の自由は絶対に確保されるべき、そのことには賛成です。しかしいまは放送の自由が行きすぎて「無法地帯」になっています。これを解決する希望の光がこのBPOのような存在です。

ルールではなく、マナーや意見交換で世の中をいい方向へ

 放送に対して規則や制限を持ち込むと、それはそれでリスクを伴います。プロパガンダによって世論が誘導されてしまった戦時中の日本の反省は生かされなければなりません。

 なので、あくまで意見交換という形や、指導、指摘、という形でやりとりをするというのが望ましいと考えます。

 気になった報道があれば私はなるべくこの「放送への意見はこちら」に愛のある意見を投稿するようにしています。実際私のおかげで改善されたかは不明ですが、いくつかの点では改善しているように思える点もあります。

 「それについて街の声は」といったチェリーピッキングに対して意見を述べ続けたところ、最近は見受けなくなりました。
※本来なら「それについて否定的な街の声は?」とすべきです。でないと否定的な意見が街の声代表という印象を与えてしまいます。

 もしみなさまも気になることがあれば「放送への意見」を伝えてみてはいかがでしょうか。

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