ピアジェの5つの式 (2)
(IV) 同一性 x – x = 0; y – y = 0; etc.
これは2つのものを比較するということだ。いろいろな場合がある。言葉の定義とそれが指し示す現象の間に漏れがないか、例外がないか、丁寧に吟味する。
日常的な生活概念の意味は、個々人の五官の記憶(エピソード記憶)の総合化であるため一般化できないが、比較し吟味することができる。例えば、大きな油揚げがのったそばを食べるには、大阪では「たぬき」、関東では「きつね」と注文しないと通じない。同じものに別の名前がついているパターンである。この場合も、(IV)の式に照らして考える。
一方、論理的・科学的概念の意味は、普遍的に共有され、同一であるべきだ。経験が作用しないので、純粋かつ論理的に議論できる。
著者が科学的概念を使用する場合、自分で概念化したか、他人の概念を借りたかを明確に公表する必要がある。自分で概念化したのなら、その過程を明らかにすることで、概念化の妥当性を吟味できる。どのような過程で、新たに発見した現象や物質に名前を付けたのかを明らかにしなければ、その概念化が正しいかどうか確認できない。
他人の概念であるなら、誰がどうやって概念化したのか、何が観察され、どう認識されたか、いつどこで誰によってなぜそのように命名されたかは重要である。どのように受容したのか(参考にした文献は何か、概念化過程を確認したのか、定義を受け継いだか、など)を確かめなければならない。同じ概念に複数の定義がある場合、相互に比較して妥当なものを択び取る必要がある。
二つの概念を比較する場合もある。たとえばスペンサーの「反射は本能である」という言葉は、動物生態学における「本能」は、脳科学における「反射」機構に基づいていることを意味する。反射とは何かを調べ、本能についても同様に調べて、それらの細胞や分子レベルの生理メカニズムを明らかにする。するとそれらは同じ現象であるのに、たまたま異なる専門分野で別の名前をつけているだけにすぎないことがわかる。
翻訳の場合、原語と訳語の対応関係を吟味し、それぞれの言語で類縁概念との関係を確認しなければならない。例えば、チョムスキーは仏語のlangage(ランガージュ)とlangue(ラング)をともに英語のlanguageに訳している。ところが、ソシュール言語学ではlangageとlangueは別の概念であるのに、英語で同じ概念として訳すと、ソシュール言語学は理解不可能になる。チョムスキーの訳は、間違っている。
学際的な概念を確立するにあたっても、最初は分野科学の概念の比較になる。たとえば、言語学の「語彙」、脳科学の「単語記憶」、心理学の「意識」はどの程度同じで、どう違うのか。精緻な議論を重ねていくことで、学際概念が生まれ来るのではないかと期待される。
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