雪結晶と恋心
双方向の恋愛なんて面倒だと言いつつ、一方的に好きな人の1人や2人くらい私にだっている。
今日は雪が降っている。
どうやらスマホのマクロレンズ機能を使えば、素人でも綺麗な雪結晶を撮影できるらしい。
好きな人には綺麗なものを見せたい。
綺麗な雪結晶を撮って見せるだけで良い。
返事が来なくたって良い。
私が綺麗なものを撮る生き物だと、少しでも記憶に留まってくれればそれで。
ストレートなモチベーションが芽生えた私はすぐに準備に入った。
全身の防寒に、スマホが操作できる手袋、黒い背景の方が結晶が綺麗に撮れるそうなので、毛玉のついていない黒ニット、
と言うより、黒ニットの毛玉の付いていない部分を探して表面に出しただけだが。
家の中で、スマホから小さいイヤリングをマクロ撮影してみてリハーサルも完了。
あとは外に出て雪を撮影するだけ。
玄関のドアを開け、寒さに首をすくめ、マンションの外までスマホとニットを持ってワクワクしながら小走りをした。
外は雨だった。
なんとなくそんな音が聞こえていたが、予想以上にビショビショという汚い音を立てて雨が地面に落ちていく。
これは雨というより、雪との間の霙(みぞれ)なんだろう。
(霙という漢字を始めて知った)
雪でなければ雪結晶の撮影はできない。
少しだけ霙に当たり、ただ服を濡らしただけで今日の外出は終わりそうだ。
綺麗な雪結晶の写真を撮って見せたかったなぁ。
自分の好きな人の性別はどちらでも良い。
性別観も曖昧、人間性も特に気にしていない自分は、学生時代いわゆる不良と呼ばれる人との付き合いも普通にあった。
素行不良に陥るのは、家庭環境と障害が大きく関わっていると自分は考察していた。
不良と呼ばれるようになる人の半数近くは、どうやら文字が思うように読めていないようで、私が口頭で難しい言葉を使っても機嫌を損ねるくらいだった。
障害を持っていると分かるといじめられる、でもいじめられたくないから素行不良に転じた、簡略化すればそんな人たちをたくさん見てきた。
国会で、性的マイノリティーの議論が進まなかったり、勢い良く「差別する側」に転じる者が出るのも、それと似たようなものであることを私だけは知っている。
政治家は完全異性愛者の集団だなんて一つも思っていない。
むしろ差別されたくなくて必死な人々なんだろう。
では、声を上げる民間人とどこに差があるのかと言うと、現状充分に生活できているかどうかの違いに感じる。
政治家が持つ、人同士の繋がりの豊かさは民間人とは比べ物にならない。
それが例え薄い関係性でも、何百枚、何千枚と重ねれば分厚い人間が出来上がる、それが政治界隈の強みだろう。
民間人が手を取り合い、強固なネットワークを作っていけば、法規制が要らなくなるほど世の中に馴染めるのだろうが、それには多くの時間が奪われ、多様性の世の中で一人一人の協調性が求められる。
民間人は現状生きづらいから法規制を必要としている。
だけど政治家は放っておいてほしい、という話に戻ってきてしまう。
自分が願うことは、分断も争いもないただの世の中であってほしいこと。
子供というだけで差別されて育った悲しい自分が。