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魔法が使えなくても次々共感できる 魔女の宅急便

私、魔女です!修行します!と言われても、観ている側はなかなか共感できないが、未熟なまま親元を離れ自立を目指し、たった一人で不安と困難に立ち向かう姿を映し出す物語の冒頭は、一気に共感モードへと切り替わらせてくれる。

気が合う人、合わない人

生活をしていれば出くわす、様々なタイプの人間。

自分自身の許容範囲に変化があれば、気が合う人率を高めることはできるが、物語の中では未熟さがゆえ 上手くいかない相手が多い。

序盤では、明るい人柄、まじめな性格、または未熟な者相手に優しく包み込んでくれる懐の深い人など 分かりやすくポジティブなキャラクターとしか関係性を築くことができない。

印象深かったのは、2人で暮らしている老婦人と、その孫の対比。

祖母が愛情を込めたニシンのパイ、キキも協力して焼き上げたのに、いざ届けたら 孫は冷たい態度で受け取り お礼も言わずにドアを閉める。

その後のシーンでも、キキはその孫を見かけたら一気に気持ちが冷めるが、祖母の家へ向かえば 落ち込むキキに涙が止まらなくなるような温かいサプライズ。

血が繋がっているからと言って 似た性格を持っているとは限らないことを教えてくれている。

もしくは、環境や年齢が人を変えるのかもしれない。

以前は何も考えなくてもできていたこと

自分は過呼吸と失声症状を経験していて、さっきまで当たり前にできていた呼吸や会話に、突発的に難が生じることがある。

これは身体的にも精神的にも苦しいもので、「人間が当たり前にできることがなんで今の自分にはできないんだ」と ただでさえ苦しんでいる中でどんどん追いやられて行ってしまう。

人として失格なんじゃないか、呼吸も発話も ろくにできないなんて、と 自己否定にも走るので、発作が癖になってしまう人が多いのもうなずける。

魔女が魔法が使えなくなることも、これに似た苦しさなんだろうと 容易に推測ができ、見ていて一緒に苦しくなる。

理想的な老後の暮らし

自分は何年も前から阿佐ヶ谷姉妹のように、ユーモアのある同性の同世代と生活を共にしていく生き方が理想だと掲げてきた。

(当然 阿佐ヶ谷姉妹の場合はユーモアのレベルが圧倒的すぎて そこまでは目指せないが)

劇中に出てくる奥様バーサの二人には上下関係が見受けられるが、バーサがそれほど遠慮しているわけでもなく、ほど良い距離感と清潔感、ブレーン寄りの奥様にプレーヤー寄りのバーサという役割分担、素敵なお手本を示してくれているような気がする。

魔女だろうが私だろうが

一歩踏み出してみること、優しくしてくれた人に恩返しをすること、その中で新しく出会った人とも関係性を築いてみること、失敗して落ち込むところまで落ち込んだら また前を向いて歩きだすこと。

子供の頃から観ている映画だが、大人になって改めて見ると 新しい発見、気づきが生まれる。

#映画感想文

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