バルカン半島を点々、郷土菓子を尋ねて<北マケドニア>
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」
午前中コソボとの国境を越えて、北マケドニア人口の3分の1が集中する首都スコピエへ。
入国してバスが停車した場所で待つことしばし、坂の上から涼しげなワンピースの裾をなびかせて颯爽と下りてきたローカルガイド・マヤさんと合流して、最初の目的地であるスコピエのスタラ・チャルシヤ(オールドバザール)を散策します。
スタラ・チャルシヤは12世紀以来交易と商業の中心であり、オスマン帝国時代には急速な発展を遂げイスタンブール以外ではバルカン半島最大のバザールとなりました。
1963年の地震でスコピエは大部分が瓦礫と化しましたが、スタラ・チャルシヤは大きな被害を免れ、オスマン時代からの区割り、幅の広い石畳の路地など往事の繁栄ぶりを今に伝えてくれます。
1472年建造のキャラバンサライ(隊商宿)は中央アジアからイラン、トルコに通ずるシルクロードで見てきたものと造りが同じ、古の旅人たちがしばし歩みをとめた宿場での生活に興味が尽きません。
ラクダやロバをつないで、近所のダウト・パシャ・アマム(1473年建造のトルコ公衆浴場)で旅の疲れをとって飲食街でお腹を満たしたのでしょう。
現在は現代アートギャラリーになっているダウト・パシャ・アマム内の見学を希望するメンバーとフリータイムをとるメンバーに分かれた自由行動で、カフェ街をぶらぶらしていたら、もう少し先へと足を延ばしていたメンバーが「紅茶とトルコ菓子の専門店があるよ」とわざわざ教えに来てくれました。
さすが、イスタンブールに次ぐオールドバザールに店舗を構えているだけあって、小さなお店なのに品揃えが充実していました。時間的に中に入って見ることはかないませんでしたが、世界第5位の茶生産量、世界第1位の紅茶消費国であるトルコの影響を受けたであろう喫茶文化があること、オスマン帝国時代から好んで食されたトルコ菓子の歴史を想起することができました。
天に右手を突き上げるフィリッポス2世立像を目指してオールドマーケットを抜けると、スコピエ2014を具現化した景観が開けます。
スコピエ2014とは、ランドマークとなる彫像や泉、橋や博物館を建造する首都整備計画のことです。
モニュメント広場にはアレキサンダー大王の父フィリッポス2世立像、アレキサンダー大王立像、オリュンピアスと幼子アレキサンダーの噴水が並んでいます。
ヴァルダル川河畔に2014年にオープンした考古学博物館では初期キリスト教のモザイクが展示されています。見所は、最深部に鎮座するアレキサンダー大王の石棺です。例えレプリカとはいえ(イスタンブールの国立考古学博物館に本物があります)魅入られます。マケドニアとペルシアの戦闘、ライオンを狩るレリーフに歴史浪漫を感ぜざるを得ません。
見学後、ヴァルダル川にかかるアイ・ブリッジを渡ってマケドニア広場へ。
北マケドニアが象徴とするアレキサンダー大王の巨大な騎馬像は圧巻でした。
半日お世話になったローカルガイドのマヤさんとお別れして、街の新旧を知るうえで代表的な場所を巡ったスコピエ半日観光を終えました。
※マケドニア問題
第二次世界大戦後、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」を1つにまとめユーゴスラヴィア社会主義連邦国家を打ち立てたカリスマ的指導者ヨシップ・ブロズ・チトーが1980年に死去すると、1991~2001年にかけてユーゴスラビア紛争が勃発、紆余曲折を経て現在、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、北マケドニア、スロベニア、モンテネグロ、コソボの7ヶ国に分裂しました。
武力を放棄して比較的穏便に独立した北マケドニアも国名と国旗には涙を呑みました。当初マケドニア共和国を国名とし、国旗に古代マケドニアベルギナの星を掲げようとしたところ、歴史の簒奪であるとして、古代マケドニアに思い入れのあるギリシャやブルガリアが激しく反発したのです。
マケドニアは、バルカン半島中央部にある歴史的・地理的な地域を指します。無数の神話や伝説に彩られた不世出の英雄古代マケドニア王アレキサンダー3世の名と共に特別な意味合いを持つ冠なのです。
上の記事はバルカン半島の郷土菓子を尋ねる旅の途中の記事です。
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