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<高知>山奥に隅研吾建築群、雲の上の図書館で知る雲の上の歩き方

 「ゆすはらは日本のチベットだよ」旅の途中、民宿で出会った人が語った言葉の謎を解くため、導かれるように梼原町を訪れました。
 
雲の上の図書館
 梼原町は日本最後の清流といわれる四万十川源流域に位置し、町の9割以上を森林が覆う山村です。そんな山の中にコロナ禍以前町の人口の100倍の観光客が押し寄せていたといいます。

 ヒントを見つけるため先ず訪れた図書館は、その名前も雲の上の図書館。スタイリッシュでありながら、山の風景に溶け込んだその名の通りの外観です。他の図書館にはあまり見られない写真撮影OKの文字とカフェやボルダリングコーナーがあります。ふつうではない内装にびっくりしながら、説明を求めてパンフレットを開いてみると、なんと隈研吾の建築作品でした。現代日本を代表する建築家隈研吾をご存知ない方はあまりいらっしゃらないと思いますが、説明すると最近有名なものだけでも、歌舞伎座、根津美術館、JR高輪ゲートウェイ駅、角川武蔵野ミュージアム、新国立競技場などを手がけた建築家です。

ゆすはら雲の上の図書館パンフレット
ゆすはら雲の上の図書館フロア
雲の上の図書館ゆすはら“いろは”ウォール&ステージ(交流広場)
ボルダリングコーナー

 雲の上の図書館以外にも、雲の上のギャラリー、雲の上のホテル・レストラン、YURURIゆすはら(梼原町複合福祉施設)、梼原町総合庁舎、マルシェ・ユスハラ(まちの駅「ゆすはら」)と隈研吾建築作品が緑深い山里風景の中に点在し、建築ファンは聖地のように点在する建築群を巡礼しているのだそうです。

勤王の郷・梼原
 隈研吾の建築群が今を映すゆすはらの顔だとしたら、山々に点在する茶堂が昔を映すゆすはらの顔です。

 坂本龍馬は1862年3月24日に土佐藩(高知)を出奔し伊予の国(愛媛)に向けて、佐川町、葉山村、東津野村を通過、翌25日に梼原(ゆすはら)に到着しました。夜は梼原の勤王の志士の家に泊まり、26日未明、彼らの道案内により、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて県境・韮ヶ峠を越えて脱藩を果たしました。その後、熱い志を抱いた梼原村の勤王の志士たちも次々と脱藩し、戦火に身を投じて多くが故郷に戻ることはありませんでした。梼原は維新への道、維新の門だったのです。

維新の道 坂本龍馬脱藩の道
六志士の墓へ

雲の上ガーデンのランチタイム
 坂本龍馬一行は、茶や谷の茶堂近くに住む若者の案内でこの茶堂から松ヶ峠番所を通過、国境の韮ヶ峠に達しました。

茶や谷の茶堂

 茶堂は、木像や石像を安置して行路の人々に茶菓の接待を村民が輪番で行う、信仰と接待、交流の場です。

 茶や谷の茶堂のほど近くにある雲の上ガーデンD’aPan屋でランチをとることができました。D’aPanは脱藩にかかっているのでしょうか、一度覚えたら忘れなさそうな店名です。

菓子&パンcafe D’aPan屋

 パスタランチは自家製有機栽培野菜を練り込んだ手打ち生パスタ、土日限定畑のランチは採れたて自家製有機栽培野菜と自家製稲木天日干し米を炊いたご飯のプレートです。ゆすはらジビエイノシシのハンバーグステーキコースは予約制。この日は平日だったので生パスタランチ一択に加えて、パン・ドリンク・デザート付のセットにしました。

採れたて野菜サラダwithトマトとバルサミコのドレッシング
ビシソワーズ
野菜パスタ
焼きたて自家製パン
食後のスイーツと紅茶


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