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<山形>4潔が生きた、築いた地。米沢の郷土料理を食べる

米沢市は米沢藩の城下町だった
 前田慶次、伊達政宗、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、その歴史をふりかえると、
1548年、伊達晴宗が米沢に入り、輝宗、政宗と三代、1591年豊臣秀吉によって移らされるまで伊達氏が米沢を治める。
1598年、上杉景勝が会津に入封されると、上杉家重臣直江兼続が米沢城を治める。
1601年、関ヶ原の戦いで西軍についた上杉軍は減封され、以後上杉氏13代が米沢城を居城として明治維新を迎える。
 明治になって御殿が取り壊されると、本丸跡は上杉謙信を祭る上杉神社となり、以降米沢の象徴として親しまれています。

上杉神社

米沢の4潔とは
・上杉謙信(1530~1578)
・直江兼続(1560~1619)
・伊達政宗(1567~1636)
・上杉鷹山(1751~1822)
元祖「やればできる(なせばなる)」の人
成せばなる成さねばならぬなにごとも 

上杉伯爵邸
上杉伯爵邸

上杉伯爵邸で食す郷土料理
以下上杉伯爵邸の献膳料理説明より。

献膳料理

・鯉のことこと煮
 鯉は上杉鷹山由来の名物で、動物性タンパク質が乏しい米沢に、相馬から稚鯉を取り寄せ飼育したのが始まりです。庭に池を掘って鯉を飼い、やがて晴れの日の行事、来客の時は決まって鯉のうま煮が一番のご馳走として正月や冠婚葬祭など特別な日に鯉の甘煮として出されるようになりました。
・塩引寿司
 鮭の塩引を使った寿司。紅白であることからハレの日には必ず出される郷土の祝い寿司。
・冷汁
 冷汁は帆立貝柱と干し椎茸でとった出汁に季節の野菜を合わせた料理。中に凍みこんにゃくや季節の野菜、山菜が入ります。上杉謙信公出陣料理のひとつで、米沢の冠婚葬祭に必ず出されるようになりました。上杉伯爵邸の冷汁に入っている米沢野菜の雪菜は鷹山公が冬の生鮮野菜を確保するために栽培を推奨したといわれています。
・おみ漬け
 近江商人が最上川をさかのぼり紅花を買い付けにやって来た折にこの漬物を伝えた。近江商人の漬物、転じておうみずけ、おみづけ。
・うこぎご飯
 うこぎは上杉鷹山公が垣根として植えることを奨励したと言われる。理由は、垣根としての機能ばかりでなくその新芽は食用になり、根は薬用となるから。米沢では春先に出る新芽を味噌と一緒にたたく切りあえや、天麩羅、おひたし等で春の味を楽しむ。
・しそ巻き
 甘味噌を大葉でくるんで油であげた東北全般にわたり存在する料理。
・いも煮
 山形を代表する郷土料理芋煮。元祖芋煮には大根は入っておらず、豆腐が入る。
・ぶどうの寒天
 直江兼続が鉱山開発のために招いた甲斐からの鉱山師がぶどうの苗を一緒に持ってきた。

 鷹山公は、凶作に備えるため「かてもの」という食の手引き書を編纂しました。「かてもの」とは、山野に生える草木果実など約80種類、後の飢饉に大いに役立ったと。
 

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