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バルカン半島を点々、郷土菓子を尋ねて<コソボ>
<コソボ>世界で一番若い国家コソボ
バルカン半島が群雄割拠していた12世紀に、セルビア人指導者ステファン・ネマニャ(1113〜1200)がコソボの地で国王としてセルビア王国を建国しました。
コソボはセルビア王国発祥の地、セルビア人にとって、聖地です。
14世紀になるとオスマントルコ帝国がバルカンに進出、対するバルカン半島諸侯軍は1389年にコソボでムラト1世率いる軍隊と激突、4万の帝国軍に対して激しい攻防が繰り広げ、この戦いでムラト1世を戦死させるも、セルビア公ラザルも命を落とし、結局は完敗して(双方の総大将がたおれて、戦死者の数はトルコ側の方が多かったけれど、トルコ軍には東方にまだ数倍の後続軍があった)、この敗北をきっかけにバルカン半島の国々は総崩れとなり、500年もの長きに渡り支配下に置かれることになりました。
コソボでセルビア王国が生まれ、バルカン半島諸国の命運が決まったと伝説化されたコソボの戦い、誇りも屈辱も語り継がれているからこそ、コソボがセルビアから独立することを認められない理由になっています。
オスマン帝国によるアルバニア人の入植がすすみ、第二次世界大戦後ユーゴスラビア連邦共和国が成立した時には、コソボの人口90%以上がアルバニア人が占めるまでになりました。
近年、アルバニア人によるコソボ独立運動が展開されて、セルビア人との対立が深まる中、EU、NATOの支援によって2008年に独立宣言がなされました。
このような経緯で通貨はユーロ、国旗は国土の上に6の星、6は国を構成する6民族を表しています。
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首都プリシュティナの街の中心部をつらぬくメインストリートであるマザーテレサ大通りの南の起点マザーテレサ大聖堂は天井が高くステンドグラスが美しい大聖堂でした。
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大聖堂から大通りを北へ行くと、国民的英雄スカンデルベルグ(1405~1468)像が立つ広場へたどり着きます。メインストリートの北の起点です。
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スカンデルベグ像の広場のさらに北側にはオスマン帝国時代の雰囲気が残る旧市街があり、ファーティヒ・ジャミーアがあります。独特のオスマン建築で、女性はスカーフ着用で入ります。
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岐阜ほどの小さな国の上を、ローマ帝国、セルビア正教の伝来、オスマントルコ帝国の進出、民族紛争と、たくさんの歴史が交錯しました。
現在は、一見穏やかな時が流れる新市街でのランチはコソボ伝統料理のマス、食後のデザートはバルカン半島伝統菓子トリレチェ※でした。スポンジに甘いミルクを染み込ませたような、ケーキです。
チャイとお願いしたら、ALTHAUS(アルトハウス)のティーバックにレモンが添えられて出てきました^_^
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※トリレチェ(Trilice)
3つのミルクを意味するケーキ名。材料となるミルクの種類はその地域によります。スポンジ生地をミルクシロップに浸してカラメルソースをトッピングしたミルキーなスイーツ。バルカン半島からトルコ一帯でよく食べられているケーキです。
上の記事はバルカン半島の郷土菓子を尋ねる旅の途中の記事です。
他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀