韓国の茶旅12ヶ月 慶州編
新羅・高麗の華
ある年の冬に訪ねた四聖庵は、全羅南道の鼇山頂上に建つ庵で、インドから渡来した縁起祖師が百済聖王22(544)年に造った建造物です。華厳寺のお坊さまがぜひとも見せたい場所があるといって時間をわざわざ割いて案内してくれた場所でした。縁起祖師は、このほかにも韓国にたくさんのお寺を造ったようです。
四聖庵は、義湘大師(625~702)、元暁大師(617~86)、道銑国師、真覚禅師の四聖人が修道したことから四聖庵と呼ばれるようになりました。
どうしてこんな場所に建てることができたのだろうというくらい高い場所にある四聖庵を見上げながら、中国にある懸空寺のことを思いました。懸空寺は北魏時代の6世紀、山西省大同市郊外の絶壁に、その名前のとおり空に懸けるかのように建てられた寺院です。それは、世塵から離れているほど意義があると信じられたためです。中国の懸空寺を見た時の驚きと感動を、もう一度この韓国で味わうとは思いませんでした。
この四聖庵には自然の美しさも存在します。絶壁を上りきった場所からは、智異山と韓国一美しい川である蟾津江が織りなす雄大な自然を一望することができました。
さらにここにはもう一つの奇跡が存在しました。岩壁には新羅僧の元暁大師が爪で描いたとされる仏像があります。それは爪で描いたものだとは信じ難いほどに迫力のあるものでした。元暁大師と義湘大師は、国内だけでなく広く影響をおよぼした人物です。
玄奘三蔵法師が17年間におよぶ旅を終えて唐の都長安に帰朝して新しい風が仏教界に吹き始めた時代は7世紀の中頃。朝鮮半島の新羅では元暁と義湘が入唐を思い立ち出発していました。
旅の途中、元暁が雨宿りで一泊した場所は古い墓場でした。骸骨に溜まった水を飲んでしまったことに気づいた元暁は、気づかなかった時には何でもなかったことが気づいたことによって気持ち悪くなったという自身の体験から、心の持ち方によって迷いにもなり悟りにもなるということを悟って帰国しました。後に華厳宗の研究に専念し、240巻もの著作を成し遂げ、仏教を庶民に広めました。
一方、一人長安に向かった義湘は、途中の港町で善妙という女性に恋心を伝えられます。しかし、彼女の気持ちを受け入れることはありませんでした。長安では後に華厳宗を大成し第三祖となる法蔵(643~712)らと共に華厳宗第二祖智儼(602~68)に師事しました。10年の留学を終えた義湘は帰国の途につきました。出航した後にそれを知った善妙は、港にかけつけますが、船は遠くにかすんでいます。海に飛び込んだ善妙はその心の深さのために、その身が龍に変わり、義湘の航海を守りました。義湘は各地を巡り、ようやく華厳を説くべき聖山を見つけましたが、寺の建立を邪魔する人たちが集まって苦境に陥ってしまっていました。すると、巨石に変身した善妙が再び現れて彼らを追い払ったといいます。彼女の助けを得て、建立した寺院が現在の浮石寺といわれています。義湘によって華厳宗は初めて唐から新羅へ伝えられ、義湘は新羅華厳宗の開祖として今も崇められています。
元暁と義湘の話は、唐代そして宋代の有名な高僧の伝記『高僧伝』に収録されています。
明恵上人は二人のことを敬慕し、その生涯を絵巻物語『華厳宗祖師絵伝』にまとめています。
これら四聖人はおおむね統一新羅時代(677~935)、高麗時代(918~1392)を生きました。新羅においてお茶は僧侶や花郎(武士階級)の間で愛され、765年、弥陀世尊にお茶を供養していた詩僧忠談が景徳王から求められてお茶を奉じたという記録が『三国遺事』に残されています。聖僧と称された元暁大師も茶人であり、僧侶や文人とはお茶と経書を通じて友情を交わし合ったといいます。唐の茶種が植えられたこの時代、お茶は唐からの貴重な輸入品でした。それは新羅の知性と称された崔致遠(858~没年不詳)が、唐船がお茶を運んでくるのを待ちわびて書いた日記からも知ることができます。
新羅の文化を継承し仏教立国であった高麗では、王が自らお茶を挽いて仏に供えるほど仏教が深く信仰され、同時に、お茶は文化として浸透していったのです。春の燃燈会(旧暦4月8日にお釈迦様の誕生日を祝う祭典)、冬の八関会(豊穣と国家平安を祈る祭典)など重要な国家祭儀は茶廳(茶房)という部署でとりしきられ、寺院ではお茶を作っておさめる茶村ができました。
この旅の最終目的地は、かつて新羅の都として栄えた古都慶州の吐含山仏国寺と石窟庵でした。これらは僧侶によって建てられた寺院ではなく、新羅景徳王15年(751)頃に宰相金大城が父母を祀るために建てたものです。
釈迦如来坐像で有名な石窟庵は日の出が見える時間に観光客が集中するのですが、日が落ちる直前にかけこんだせいか、人気のない静かな雰囲気のなかで坐像と対面することができました。遠く東の海に向かって座る仏像の静かな眼に金大城は何を映したかったのでしょうか。
上の記事は韓国茶の旅中の記事です。
他地域の物語も読んでいただけたら、幸いです🍀
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