青い春
なんとなく、理由もないのに寂しい夜がある。
思えばそれは、毎年春頃に多いのかもしれない。
春、白黒だった冬が忘れていた色を取り込んでいって、世界が目覚めたように鮮やかになる季節。
だんだんと暖かくなってきて、気温も湿度も全部がなんとなく心地よい季節。
桜の花がこの世の生を祝福するかのように咲き乱れる季節。
春になると、学生の頃の卒業式を思い出す。
桜の花に囲まれて、おめでとう、卒業してもずっと友達でいてねと交わしながら、涙を流したあの日。
卒業アルバムの写真写りに文句を言ったり、
隣のクラスの1番人気だった子の顔を探して、やっぱり可愛いわとぼやいたり、
後ろの白紙のページに寄せ書きしあったりしたあの日。
色々なものを背負ってそれぞれの道に進んでいったあの日の尊さと儚さは、大人にならないと分からないもので、
それがわかったときにはもちろん大人になっているわけだから。
なんとなく、それが惜しまれる。
なんとも言えない寂しさが込み上げてくる春。
できるなら、あの時のあの瞬間に戻りたい。
学生のころ、体育祭本番にお弁当を忘れたことがあった。
ペナルティをくらって居残り掃除をしたこともあった。
昼休みは、鐘が鳴ったと同時に購買にパンを買いに走ったし、
自転車での登下校、急な坂道は正直しんどかった。
わたしはよく、ホームルーム終わりに教室に残っていることが多かった。
放課後の優しい風が吹き込むひとりぼっちの教室が大好きだった。
窓際の白いカーテンが控えめに揺れていて、
校庭からはサッカー部のホイッスルの音が高く響いてくる。
あの時の感覚や感じたことや匂いや青春の全てを詰め込んである瓶が売っていたら、それは間違いなく売れるだろう。
戻れるなら、あの瞬間に戻りたいと、時々思う。
春は、生き物たちが眠りから覚める季節。
それと一緒に、私の中にある、生き生きとしていたあの瞬間も呼び起こされるのかもしれない。
あのキラキラしたかけがえのない時間は、過ぎてみないと、輝いていたなんて気がつけない。
大人になって初めて、青春って言葉の意味を知る。
青春を生きていた子供だった頃の私は、青春なんて言葉の概念を到底理解していなかった。
そんな、気がついた時にはもう戻れない"青春"という時間軸が、時々私の足を止める。
目の前の狭い世界がすべてだったあの時が、羨ましいと思う。
何かに純粋に直向きに打ち込むことができていたあの時に、戻りたいと思う。
叶うなら。
春は毎年、私のすぎてしまった青春を運んでくる。
今年の春もまた、私はどこか寂しさを感じて、過去の青春を羨んで、
そしてまた一歩、
そのどうしようもない寂しさを抱えながら、大人になっていく。