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不登校保護者支援を始めたきっかけ-1-

「なぜomimiの事業を始めたのですか?」と聞かれることも多く、少しずつ当時の胸の内や状況などを投稿してみようと思います。

「私が不登校支援を始めた理由~娘が教えてくれたもの」

30歳になった娘が、高校1年生の冬休み明けから突然学校へ行かなくなりました。その時のことを思い出すと、今でも胸が締めつけられます。あの頃、娘が不登校になってまで伝えようとしていた辛い気持ちを、私は全く理解していなかっただけではなく、受け止めることもできずにいました。ただ、彼女を自分の思い通りに動かそうとばかりしていました。

娘が不登校になった当時、私は地域の中学校の社会教育に関わるボランティア活動などに注力しており、忙しい日々を過ごしていました。PTAの役員や会長などを歴任しており、学校の先生方と関わることも多く、話に聞いて理解はしていた「つもり」だった不登校と向き合うことになりました。


はじまり

娘は、小さい頃から勉強も部活も生徒会活動も、何ひとつ問題なくこなす「優等生」でした。私にも、先生方にも、そのように映っていたと思いますし、目には見えない「優等生」のラベルが貼られていました。勉強、部活、生徒会活動、友達・・学生生活を楽しんでいると信じきっていた私は、彼女が部屋に籠った時、何が起こったのか理解できず、頭が真っ白になりました。

それからの日々、布団に頭を隠して私の言葉に反応しない娘に対し、私は叱咤し、時には脅し、宥めることもしましたが、何も変わりません。それどころか、娘はさらに追い詰められ、ついには病的な症状が現れて、幻聴が聞こえるようにさえなってしまったのです。

「元気な娘に戻ってほしい」、ただそれだけを願って病院に連れて行きましたが、薬が処方されるばかりで変化はなく、1ヶ月が過ぎました。私はただ、彼女を高校に戻すことしか考えていませんでした。

その時、自分のしていることの間違いに気づきました。地域で子育てやコミュニケーション支援に関わり、多くの人の考え方に触れ、耳を傾けることで、私の考えが徐々に変わっていきました。

「この子が感じている辛さを理解し、少しでも軽くしてあげたい」この思いで、伝えていた言葉と行動のほとんどが、私の娘に対する“愛情という名のおせっかい”でした。娘が私に気づかせてくれたこの経験が、今の不登校支援活動の出発点になったのです。


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