不登校保護者支援を始めたきっかけ-2-
「娘との歩みから学んだ、不登校支援の原点」
娘が高校に行かなくなってから、私は不登校について調べ始め、通っている学校に固執するのをやめようと決意しました。そして目についたのが、福岡県でも有名な単位制の公立高校でした。娘にとって新しい一歩になるかもしれない、いえ、なるに違いない!とその学校への入学を願い、私はすぐに動き始めました。
けれども今の学校を退学しないと再受験ができないと知り、娘に「この高校こそあなたに合っている!受験しよう」と説得を開始しました。まだ心も身体も回復していない娘を、半ば無理やり引っ張ってその高校へ訪問し、説明を聞き、受験に向けて手続きを進めていったのです。
高校を退学する際には、校長先生をはじめ、多くの教師の前で娘が挨拶をすることになりました。娘はその場で、自らの未熟さや残念さ、友人や先生方への感謝の気持ち、これからの夢について、はっきりとした声で話しました。そこにいるのは、私が知っているいつもの優等生の娘でした。私は隣で誇らしさを感じながら、涙ぐんでいました。ですが、その時の娘の心の中はどんな思いだったのでしょうか。今振り返ると、娘に無理をさせていた自分を責める気持ちでいっぱいです。
不安定な日々のはじまり
新しい高校への挑戦は、娘にとっても、私にとっても不安定な、不確実な日々の始まりでした。娘は文句も言わずに、私が信じる通りについてきてくれました。ですが、家に戻れば娘は昼夜逆転の生活、部屋に閉じこもったままの状態でした。それでも私は、「新しい学校に通えば元気を取り戻せる」と信じ、4月から通えるだろうと思う高校の受験のことばかり考えていました。
受験当日、布団にこもりがちだった娘を連れ出し試験会場へ向かいました。娘がどれほどつらかったか、冬休み明けから不登校になり、勉強していない状態で試験に臨むことがどれほど負担だったか、今なら想像がつきますが、当時の私は「絶対に大丈夫」と根拠のない自信に満ちていました。
合格発表の日も、行きたくなさそうな娘を連れて発表を見に行きましたが、結果は「不合格」。帰り道、娘の反応を気にかけることなく、ただ「次の試験が10月だから、今からそこに向けて頑張れば大丈夫」。10月に行われる後期入学試験に向けて気持ちを切り替えようと言う私がいました。
ここまで綴ってみて・・
今、この経験を振り返ると、あの時の娘の気持ちに全く寄り添えていない自分を顧みて悔やまれるばかりです。私が本当に向き合うべきは、娘が「なぜ学校へ行けないのか」という心の声だったと、後々気づきました。この経験が、今私が不登校支援に携わる原点です。過去の私のように、ただ「元気に学校へ行く姿」を求めて焦りや不安を感じている保護者に、少しでも寄り添い、心から支える支援を届けたい。その思いで、活動を続けています。