「ずるい」という言葉が示すもの。子どもたちの本当の気持ちを考える
子どもたちの話の中でよく耳にする「ずるい」という言葉。
この言葉を聞くたびに、否定的な感情が伝わってくるようで、私はその響きがどうしても受け入れられず、違和感を覚えます。特に小さな子どもが「ずるい」を使っていると、「いったい誰がこの言葉を教えたのだろう?」と考えることが多いです。
子どもが「ずるい」という言葉を覚えるのは、兄弟や友達との遊びの中で、不利な状況に立たされたと感じたときに使われるのでそこで覚えたのでしょう。しかし言葉は、幼い頃に親や他の大人などから学ぶことが多いので、それを教えたのは私たち大人なのでしょう。
辞書によれば、「ずるい」とは、「自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま」とあります。しかし、子どもがこの言葉を使う場面を見ていると、必ずしも「汚い手」や「ごまかし」に対する指摘とは限りません。むしろ、その裏にある気持ちに注目することが大切なのではないでしょうか?
「ずるい」に隠れた気持ちとは?
Omimiかふぇで保護者から寄せられる声の中にも、「ずるい」という言葉が話題になることがあります。たとえば、不登校のお子さんが行事だけ参加した時に、クラスメイトから「ずるい」と言われたエピソード。また、部活の先生から「みんな頑張っているのに、君は部活だけ出るなんてずるいと思わないか?」と言われた話もありました。
これらの例からもわかるように、「ずるい」という言葉は、単なる攻撃や批判だけではなく、不公平感や羨望が含まれています。場合によっては、「本当は自分も行事だけ参加したい」「自分も学校を休みたい」という本音が隠れていることもあります。
「ずるい」と感じる背景には、「自分ができないことを相手がやっている」という羨ましさや、「自分にはそんな選択肢がない」という諦めの気持ちがあるのかもしれません。そして、その感情が「ずるい」という形で表現されているのです。
「ずるい」をなくすために必要なこと
私たち大人は、子どもたちが「ずるい」と言うたびに、その裏にある本当の気持ちを考える必要があります。そして、子どもたちが「ずるい」と感じる状況を減らしていくために、教育や社会の仕組みを見直すことも大切です。
ここ数年多様な学びの場の大切さが言われてきています。
学びの場所が多様化すれば、子どもたちの興味や関心に合った学びができ、そうすることで不登校の児童生徒も減るかもしれません。子ども一人ひとりが違うように、学びのスタイルもそれぞれ異なりますから、その多様性を尊重することが重要です。
さらに、「インクルーシブ教育(包容する教育)」の考え方を取り入れることで、すべての子どもたちが同じ環境で共に学び合い、互いの個性を尊重する社会を目指せます。
しかし現在の日本では、特別支援教育が主流となっており、障害のある子どもたちが分離された環境で教育を受けることが多いです。この分離教育には整備された環境で、専門スタッフによる細かい配慮や指導を受けられるメリットもありますが、同時に子どもたちの多様性や人間関係、社会経験の機会を制限してしまう可能性もあります。また、支援級や特別支援学校に入ることを極端に嫌がる子どもの声も、Omimiかふぇではよく聴きます
多様性と共存を育むために
地球上には、さまざまな特性や個性、社会背景をもった多様な人々が生活しています。「誰一人取り残さない教育」がスタンダードになっていくためには、私たち一人ひとりが多様性を受け入れる力を育む必要があります。子どもたちだけでなく、親や教師、そして社会全体が、異なる価値観や背景を持つ人々と共存する大切さを学ぶことが重要です。
特に、「ずるい」という言葉が子どもたちの口から発せられないようにするためには、子どもたちが自分の選択肢や環境に満足し、他者と比較しないで済む社会を目指す必要があります。
子どもたちが「ずるい」と言いたくなるとき、その言葉の裏に隠れた本音に耳を傾け、私たち大人ができるサポートを考えていきたいですね。未来の社会を担う子どもたちのために、今できることを一緒に始めていきましょう。
最後に
子どもたちの言葉や行動には、必ず理由があります。「ずるい」と感じる背景を理解し、そこに寄り添うことで、よりよい子育てと教育環境を作るきっかけになるかもしれません。
子どもたちが心から安心して学び、生活できる社会の実現を目指して、共に歩んでいきましょう。