不登校保護者支援を始めたきっかけ-4-
「さなぎちゃん」が羽ばたく時を待つ 〜親としての成長と気づき〜
娘が学校に行かなくなってから、私は心の中で彼女を「さなぎちゃん」と呼ぶようになりました。さなぎとは、幼虫が成虫になる前に食事も摂らず静止し、じっと変化の時を待つ姿そのもの。娘も、今は動かずじっと耐えている時期なのだと考え、「いつか自分の力で殻を破り、羽を広げて飛び立つ日が来る」と信じて、そのタイミングを待つことにしたのです。娘のタイミングに任せる。そうやって見守ろうと・・。
この考えにたどり着いてからは、気持ちが少し軽くなりました。親としてどうにかしてあげたいと思う気持ちを手放し、娘の声に耳を傾けられるようになったのです。
とはいえ、親としての「捉え方のクセ」はなかなか抜けません。娘が時々、私の言動に対して「お母さん、それ違うよ」と言ってくれる時も、つい言い訳が先に出てしまう自分がいました。「でもね」「それはね」と、反論や正当化に気持が向いてしまい、「あなたはそう感じているんだね」「そう思っているんだね」という言葉が出ないことがあります。
しかし、気づけば「またやってしまったな」と後から反省することが増え、そこに意味があるのだと思えるようになりました。気づくこと自体が大切な一歩だと。気づくことさえできると、次は気をつける、そして謝ることもできるのです。
この経験は、「Omimi かふぇ」で同じように悩む保護者の皆さんにも伝えています。またやってしまったと絶対に自分に「✖️」をつけないでほしいと。やってしまったと気付いたことが「○」なのだと。「✖️」をつけることで、お母さんやお父さんの気持ちが落ち込んでしまいます。 なので、きづいたら自分に「◯」をあげることにしましょうと、いつもお話ししています。
それまで気づかずに子どもを傷つけてきたのかもしれない。だからこそ、「あ、まただ」と気づけたら次は少しずつ変えられる、謝ることもできる、そして変化が生まれ始めるのです。
娘の「さなぎの期間」は5年に及びましたが、その間にも少しずつ成長し、自ら新しい一歩を踏み出しました。そして21歳の時、公立の定時制高校へ自らの意志で入学することを決めたのです。勉強をせず、バイトを少しずつしていた娘が、「自分でやる」と決めた途端、手続きなども自ら進め、行動を加速させていく姿がありました。入学式では生徒総代として挨拶することになり、あの頃の優等生がそこに戻ってきたようでした。ですが、これまでとは違って見える娘の姿。言葉にするのが難しいのですが、自由に羽ばたいていく、たくましささを感じました。これまでの姿と違って見えたのは、私自身が変わったことが大きかったと思います。
あれほど学校に行くことを拒んでいた娘が、自分で「やる」と決めた瞬間から、それまで石のように固く頑なだった気持ちが、スポンジのように柔らかくなり、定時制高校での3年間は学びや体験を吸収し、どんどん成長していくのを目の当たりにしました。そして成績優秀者として表彰され、4年で卒業するところを3年で修了しました。
さなぎが殻を破り、羽を広げて飛び立つ瞬間をじっくり見守ることができたのは、「えがおの会」のOmimi かふぇで多くの保護者の方々の話を聴けたからこそ、私も一緒に成長してこられたのだと思います。
不登校のお子さんと向き合う保護者の皆さんには、ぜひご自分の声も大切にしながら、心を少し軽くしていただきたいと活動をしています。私もまだまだ学びの途中です。同じように悩む方々と一緒に進んでいきたいと願っています。