執着を手放すということ
子どもと向き合う親の在り方
「自分の中にある執着に気づいていますか?」
親御さんたちとの対話を重ねる中で、私はいつも「執着」というテーマに直面します。親御さんの多くは、「どうしても手に入れたい何か」に囚われるあまり、それ以外が満たされていることに気づかず、苦しみ続けています。不登校の子を持つ親御さんにとっての「何か」とは、多くの場合、「子どもが学校に行ってくれること」を指しています。
子どもが学校に行けない現実を前に、嘆き、苦しみ、私のもとを訪れる親御さんたち。
「五体満足で生まれ、大きな病気もせず順調に育ったはずなのに、どうして不登校に?」
こうした問いの裏には、「学校に行ってほしい」という単純な願いのようで、実は複雑な想いが潜み絡まっています。
「執着」の正体は何か?
「子どもが学校に行かないのは、親として失格だから?」
「私の子育ては失敗だったのでは?」
多くの親御さんが抱えるこうした不安や自己否定。その根っこには、「目に見えない誰かの評価」を気にする気持ちや、「見下されたくない」という恐れがあるように思えます。
親御さんたちは口では「そのままの子どもでいい」と言いながらも、心のどこかで「自分の理想の姿に変わってほしい」と願っています。その「執着」が、知らず知らずのうちに子どもを追い詰めてしまうことも少なくありません。
執着を手放し、自分自身を癒す
外側の「望み」に囚われず、自分の中にある「劣等感」や「不安」に目を向けることが大切です。子どもを変えようとする前に、自分自身を見つめ、癒す時間を作りましょう。
Omimiかふぇでの会話の中で、「不安で仕方ない」という言葉がよく聞かれます。そのため、親御さんたちとともに「この不安は子どものためなのか?それとも自分のためなのか?」という問いを考えることがあります。
最初は、「子どもの将来を心配している」と言う親御さんも、対話を重ねるうちに、「実は自分の不安が一番大きかった」と気づくのです。その不安が、子どもに対する厳しい言葉として表れていることもあります。
たとえば、
「この成績で良いと思っているの?」
「このままで高校に入れると思うの?」
こうした言葉が投げかけられるたびに、子どもは不安を増し、自己肯定感を失っていきます。不安感でいっぱいの中、さらに親が抱える不安を子どもにぶつけることで、子どもの心は疲弊してしまうのです。
「聴く」ことから始める子どもへの対応
子どもと向き合う第一歩は、「子どもを自分の思い通りにすること」ではありません。大切なのは、子どもの声をしっかり聴き、話してくれたことを否定せずに受け止めることです。
もちろん、これは簡単なことではありません。だからこそ、一人で抱え込まず、あなたの気持ちに寄り添ってくれる人とともに、気づきの時間を持つことをおすすめします。
Omimiかふぇでは、親御さん同士が安心して本音を話し合い、不安を共有できる場を提供しています。執着を手放すことで、少しずつ気持ちが軽くなり、子どもとの向き合い方も変わってくるケースが多くあります。
「執着」や「不安」に振り回されず、心の余裕を取り戻すために、一歩踏み出してみましょう。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。