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「普通」という理想

「普通であってほしい」という親心

子どもが不登校になると、多くの親御さんは「普通になってほしい」と願います。でも、この「普通」とは一体、どのような姿なのでしょうか?

私もかつて、「娘が普通に戻ってほしい」と思っていました。しかし、この「普通」はこの子本来の姿ではなく、親である私が理想としていた「ちゃんとできている」娘のことだったのです。つまり、「普通でいいんだ」と言いつつも、実は「自分が期待する姿でいてほしい」という願望が込められていたのです。


親の理想と「普通」という押しつけ

現状を受け入れたくないと思っているときは「なぜ普通のことができないのか」と子どもに怒りを向けがちです。この「普通」とは、例えば、朝は決まった時間に起きて、朝食をとり、学校に遅れずに通い、勉強をしっかりして、部活も楽しみ、友達と仲良く遊び、門限までには帰宅し、夕飯を家族と食べ、お風呂も文句言うことなく入り、宿題をして、親に悩みを相談し、夜も決まった時間に寝ることなどを指しているのでしょう。

でも、こうして並べてみると、これを毎日完璧にこなすのはとても大変なことだと思いませんか?当たり前に「普通」として求めているものは、実はとても難しいことの積み重ねなのです。

不登校になる前の娘は、私が「普通」として思っていたこれらのことをこなしていました。しかし私は、できていることには感謝や評価をせず、できていないことばかりに目を向け、子どもにもっと「ちゃんと」するように求めていたのです。今振り返ると、それは子どもにとってプレッシャーであり、自分の価値観を押しつけていたことに気づかされます。

不登校は子どものサインかもしれない

不登校という現象は、もしかしたら親に対する子どもからのサインかもしれません。何か不安や違和感を抱えているからこそ、子どもは学校に行けなくなっている可能性があります。だからこそ、親も「普通であること」にとらわれず、子どもの本当の気持ちに耳を傾けることが大切です。

向き合うことは、辛いことを含むかもしれません。しかも、心の中は閉ざしてしまうほど、複雑になってしまっていることもあります。しかし、この状況を改善するためには、親としても新しい視点を持つことが必要なステップだと思っています。

もし一人で悩んでいるなら、信頼できる人にお話を聞いてもらってください。私たちのようなボランティアは全国各地に増えてきています。一緒に考えていくことで、新たな道が見えてくるかもしれません。

親も子も、一歩ずつ歩んでいけるように、共にサポートしていきたいと思います。

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