知らないことが減っていく
自粛生活で増えたものの一つに夜の散歩がある。日中出歩くのは気が引けるが、一日中家にいるのもしんどい。そんな時は夜、近所を歩く。
歩いているとこんな看板が目に入る。いつも見ているはずの看板の読みが気になる。
幅員はどう読むのだろう。はばいん?ふくいん?読めないが、意味は分かる。この先で道路の幅が短くなるのだ。これは漢字というよりも、むしろ記号としての役割を果たしているように思う。
例えば「!」をびっくりマークと読もうが、エクスクラメーションマークと読もうが、この記号が表す意味は分かる。感嘆符だ。
幅員減少、をスマホで調べると、ふくいんげんしょうと読むことが分かった。
さらに道を歩く。アスファルトの歩道には、至る所にG→というシールが貼られている。これもよく目にするものだが、その意味はよくわからない。
検索すると、デイリーポータルZのサイトが出てきた。G→はアスファルト下に埋まっているガス管の位置を示しているそうだ。
いまや、知らないことの大半はデイリーポータルZに載っている。デイリーポータルZは、現代の知の集合体だ。知らないことを調べるたびに、このサイトページが紹介される。
勢い余って街角図鑑という本を買った。ここには大量の「知らない」が詰まっている。日常で目に触れるが、気にもとめない物体たちの詳細な解説から、世界の広がりに気がつく。
人間が作る世界は、取るにとらない物体でさえ何かの目的を持ち、整合化された状態で社会に存在する。意味がないように見える物体の一つ一つにも目的や工夫があり、目指す社会像がある。
目にしただけで理解したような気になることは多いが、その裏側の歴史を知れば味わいも変わる。しかし、その裏側の歴史など、知り得ないことの方が多い。せめて「知らない」ということだけでも知っておきたい。全てを知ってる人など、この世には一人もいないのだから。